第1章

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 そのアーティストのアルバムは、少しスクロールが必要なくらい、私のスマートフォンに入っていた。  最後となる新譜から、ふりかえれば、デビュー前のインディーズの時代のものまで。  もっと言えば……アウトテイク集という、曲として完成していない音源まで入っていた。  それには、本人の呟きや、バックで演奏している人達の軽口なんかまで収められている。  もちろんそれは、公式に発売されたものではない。でも、無断で録音したものや、海賊版なんかでもなかった。  懐かしくなって、それらを再生しながら、当時を想い出す。  やたらと長い会話、合わないリズム、なのに楽しげなメンバー達。  レコーディングされた音源からは、決して聴くことのできない、演奏者達の裏の声だ。  久しく忘れていたその空間に浸っていると、突然、みんなの演奏が止まる。 (あっ……)  演奏の最中、突然割って入ってきた声があったからだ。  女の子の声――それは、しまったという感じで叫んだ後、必死に誤りの声を上げ始めた。 (休憩中だと、想っていたんだよね)  そうしてスタジオのドアを開けたら、演奏もノリにノっているところだと気づいて、やってしまったと反省したことを想い出す。 (懐かしい、そんなこともあったっけ)  あの時は、本当に申し訳ないと感じて、必死に謝った。  みんな優しくて、笑って許してくれたから、とっても嬉しかったのを覚えている。  ……自分もその場にいたのが、今はもう、少しだけ遠い感覚に感じる。  当時のわたしの声が、一通り収まる。  すると、また、彼の歌が始まった。  イヤフォンから流れる声を聴きながら、わたしは、彼の言葉に意識を集中する。  言葉と声から生まれる熱、そこからなにかを受けとろうと。  わたしたちが、意識を集中する。  音源のなかの、過去の自分。  公園で独り、彼の歌を聴いている、今の自分。  二人の私が、あの当時の彼の声から、なにかの意味を拾おうと。 (……それは、同じ意味、なのかな)  不思議なものだと、想う。  もう、彼とのつながりは……なにも、ないというのに。  ――わたしと彼は、かつて、付き合っていた。  出会いは些細なことで、彼の歌を気に入ったわたしが、彼のライブに通いつめたのが縁だった。  彼は小さいライブハウスから、次第に評価され、大きな会場へと移っていった。
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