第1章

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 たとえ、生きていたとしても……もう、わたしへの言葉は、熱を持っていないだろう。  気持ちとともに、耳もまた、袋小路に入り込んだような気分になった。  ディスプレイの表記をぼんやり眺めながら、わたしは、各々の曲を脳内で再生する。  暗記するくらいに、聴きこんだ曲の数々。  別れてからも、曲はずっと追っていた。  彼が好きだったのと同じように、彼の曲も、ずっと好きだったからだ。  だから、今まで、聴いている。でも、今は、聴くことが辛い。  彼の歌は、ここにある。記憶のなかの熱に似て、わたしの鼓膜を揺さぶってくれる。  知らず、わたしの眼も熱くなる。  ――でも、ここにあるのは、過去の熱だ。  耳元からイヤフォンを外し、手元へ寄せる。  何百回と聴いた声は、耳を閉じるだけで想いだせる。  なのに、わたしのために囁いてくれた、揺らぐ声は霞のよう。  散歩途中の会話のなか、食事中の談笑の合間、耳元へのかすかな吐息。  彼の生みだした、わたしだけに向けられた、リアルな感情の声。  それらは、数え切れないくらい、たくさん貰っていたはずなのに。 (忘れては、いないはずなのに)  かすかなピースの断片のなか、あなたは、わたしのなかで生きている。  けれど、もしあの時、別れの言葉を受け入れなければ。  そのピースが、もっと複雑で、大きな絵になったんだろうか。 (未練、なのかしら)  そうでなくて、なんだと言うのだろう。  別れたくなかった、と言ったところで、彼の妨げになりたくもなかった。  でも……と、自分のなかで、割り切れない感情があったのに、今更気づいても遅いのだ。  やりなおせるだろうか、なんて考えは、ありえないことになっている。  せめて生きていてくれたら。  たとえ彼に恋人ができようと。  わたしにも新しい想い人ができようと。  新しい声が、新しい熱が、聞こえるのに。  そんな、現実には叶わない願いも、頭の片隅で考えてしまう。  ぎゅっと、スマホを握りしめる。そんなことをしたって、再生される声が、変わることはないのに。  けれどわたしは、パソコンのなかからも、スマホのなかからも、彼の曲を消すことができなかった。  もう、彼だけの、彼が残してくれた声は、この過去の曲の中にしか……ないから。  眼に潤みを感じ、顔を伏せて指先で押さえる。  止められない感情があふれ出しそうになる、その時だった。
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