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そして。
その神武町から、南に行き、近くにある平野区長吉には。
志紀長吉神社があります。
そこには、大坂夏の陣の道明寺合戦で勝利した、真田幸村公の六文銭の軍旗が奉納しておられます。
なんでも、勝利した時のお礼の奉納だとか・・・。
実物なので、真田幸村ファンの方は、一度、訪れてみてください。
まあ、見せてくれるかは、ネットのサイトがあるので、お確かめを。
確か、公開してる日があったと思いますので。あしからず。
で。
神武町にもどり、そこから、北東の方の末広町という町に目を移します。
そこには、今は存在しないのですが。
ある旅館がありました。
そこの旅館は。太平洋戦争中の末期。
特攻隊隊員の宿舎でありました。
なぜなら、八尾市には空港があり、そこには、かって旧日本陸軍の大正飛行学校という教育施設があり多くの若者達が、そこから、戦場に翼を連ねて、向かっていったのです。
大正飛行場(昔の名前)には、陸軍航空隊の部隊があり、関西地方の防空を担っていました。
装備機種は、三式戦闘機『飛燕』及び、二式単座戦闘機『鍾馗』を使っていたそうです。
しかし、戦局は悪化の道をたどり。
そして、その大正飛行場の基地でも、特攻隊が組織されました。
そして、大正飛行場は、東日本から鹿児島県の知覧基地に向かう、部隊の中継地として、使われました。
そして、その特攻隊隊員たちの宿舎として、八尾市の末広町の旅館が宛がわれたという訳です。
愛する家族や、恋人たちを守るために、若者たちは、沖縄の空に、満州の野に、フィリピンの空に散華しました。
黙祷。
そして。
現在の八尾空港には海上保安庁のヘリや、警察のヘリ、陸上自衛隊の部隊が駐屯しています。
そして、大阪の松井知事。
アメリカ軍のオスプレイの訓練場として、協力してはどうかの案が、現在浮かんでいます。
流石に、オスプレイは問題があるので、色々と議論があるのですが。
ここで、オスプレイは五月蝿いのか?
騒音問題ですが、データでは、オスプレイは、通常のヘリより、騒音が少ないそうです。
確か、サイトでそれを知りました。
それと、オスプレイは危ないと、言っておりますが、墜ちて事故を起こしましたでしょうか?
結果、まだ、起きてませんね。
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