河内の歴史とか

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まあ、その蘇我馬子も、次の息子の蝦夷、孫の入鹿と共に亡ぼされたのは、大化の改新で習ったと思いますが・・・・。 645年で教わっていたと思いますが、1192年の鎌倉幕府の時と同じように、変わっちゃったみたいです。 まあ、その話は違う話なので、置いといて。 その、物部一族の名残が、この河内にはあります。 一番有名なのが、この河内には、なんと、天然温泉があります。 八尾木町にあるんですが、それは、商標の宣伝になるので、名前は非公表としておきます。 そこの社長さん、テレビにも出た有名な社長さんなので知ってるかも知れません。 そこはかって、かの楠木正成公も入った由緒正しき温泉で、物部守屋の隠し湯と呼ばれてました。 そして、その近くには、矢作神社があり、その周りには弓矢の矢を作った方たちが住んでいるとされています。 それと同じく、八尾市と東大阪市には、刑部(刑法、司法、などに関わる人たちが住む場所)弓削(弓や剣、矛などを作ります)玉串(神社に奉納する玉串を作る場所)などといった場所が地名として残ってます。 でも、物部一族の本拠地が八尾市のこの場所にあったという確証はありません。 なぜなら、八尾市にも渋川という地名があり、東大阪市にも渋川という地名があるからです。 まあ、あまり、この渋川の場所はあまり離れてないので、渋川は一緒にでかい場所だったかも知れませんね。 で、その物部守屋様の話はこれくらいにしといて。 その、物部守屋様のお墓の北側、渋川の間に、今は亡き、国鉄の操車場がありました。 現在は、取り壊されて、でかいマンションが、未来少年コ〇ンのインダストリアの三角塔のごとく、河内平野にそびえたってます。 噂では、前の大阪市長さんが、そのマンションの一室を買われたと、の、噂がありますが。 ほんとかどうかわかりませんけどね。 で、そのマンションの北側に久宝寺に久宝寺緑地があり、毎年一回、『河内音頭祭り』が行われてます。 9月の第一日曜か、第二日曜日ぐらいに行われますので、よければ、見に来てくださいね。 そして、そこから東側の河内山本駅に向かうことにします。 その近くには、ある、有名な漫画家さんが住んでまして、そこの漫画家さんのアシスタントをしていたのが、かの、戦闘機マンガの大御所、新谷かおる先生だったそうです。
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