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そして、木村重滋は、かの秀次事件で切腹を申しつけられます。
妻の宮内卿の局様は里帰りしたのですが、重成様が生まれて乳母として適任だったので、豊臣秀頼の乳母を命じられ、重成様もまた、小姓として、秀頼ぎみに仕える事になります。
この時。
ちょうど、奥州の名将、伊達政宗。
かの独眼竜と呼ばれた、伊達政宗のご子息。
と、いっても、サンドイッチマンの伊達みきおさんではありません。
あのM1の覇者の伊達さんは、確かにご子孫ではありますが、子息ではございません。
かといって、馬にチョッパーハンドルつけて(あんなもも馬に付けたら、首の骨折れるって)、刀六本持って、ワンピースのゾ○のような声してる伊達政宗様ではなく、ちゃんとした伊達政宗様のご子息の長男。
猫御前と呼ばれた、ご側室の男子。
宇和島藩、初代藩主、伊達秀宗も秀頼ぎみの小姓として仕える事になりました。
伊達秀宗は、長男だったのですが、側室の子という事で、政宗は、後継ぎにはできなかったみたいです。
その、秀宗。
関ヶ原の戦いのあと、仙台に戻され、既に政宗には次男が生まれ、後継者もいたので、秀宗は厄介者あつかいされるような感じ(あくまでも、イメージですが)
でした。
それを憐れんだ東照神君徳川家康。
今年、没後400年ですが。
ちょうど、藤堂高虎が、伊賀、伊勢津の領地に移って管理扱いの宇和島に分家として、10万石の領地と一緒に与えることになりました。
これが、幕末。
四賢公として有名な、伊達宗城の宇和島藩となるのです。
そして、宣伝。
この宇和島で育ったパティシェール志望のロシア系日本人の少女、来島イングヒルトの話が、拙著の『きっかけというもの。』です。
よろしければ、ご閲覧を。
ま、それは、おいといて。
話はどこまで飛んだっけかな?
そうだ!
重成様が小姓として秀頼ぎみと一緒に育った場面です。
仲良く、育ったのは確かみたいですね。
この場面の資料は、調べなかったので、申し訳ありません。
まあ、この間。
関ヶ原の戦いや、鐘の事件などがありまして。
この、大坂の陣の話になっていきます。
で、後半へ続く(ジャマイカン・ダニンガン役、又は、アレックス・キャゼルヌ役、ちびまるこのナレーショョンで有名な、キートン山田さん風に)!
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