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大坂の陣。
時は1614年。
豊臣秀頼、約9万。
徳川家康、約20万。
大坂城に、籠城する豊臣軍を、徳川軍が取り囲みます。
この時。
大阪府の城東区の鴫野今福で、小規模な合戦が起こりました。
徳川軍、上杉景勝、佐竹義宣。
豊臣軍。
黒田官兵衛、長政に仕えた、名将、後藤又兵衛。
この、又兵衛。
訳あって、黒田長政に嫌われて、出奔することになって、この、大坂の陣で、大将として、名将として、真田幸村より、熱烈な歓迎をもって迎え入れられたそうです。
ドラマでは、倍返しの堺、もとい、真田幸村が有名ですが、この時の幸村様、大坂の陣にくるまでは、あまり、着目されなかったそうです。
なぜなら、親父さんの、草刈もとい(ちなみに、池波正太郎先生の『真田太平記』では、真田幸村役です。あと、『真田丸』で出演されていた、榎木孝明さんも、草刈さんと一緒に『真田太平記』に出演されてました)真田昌幸のほうが名が知られていたからです。
なんせ、徳川軍を二度に渡って敗走させたほどの戦術の名手です。
徳川家康も、ほんとに、この真田昌幸には、警戒心を強めていて、大坂城に、「真田が大坂城に、入城!」という報せを受けて、その時、「それは、親父か、息子か?」と、真田昌幸が死んでいた報せを聞いていたにもかかわらず、慌てたと、いう話があるほどです。
報せは、真田幸村だったので、安心したそうですが。
それは、ともかく。
その、後藤又兵衛。
なぜ、長政から疎まれていたかというと。
それは、朝鮮の戦のおり。
長政と明軍の兵士と、取っ組み合いの勝負をしていました。
後藤又兵衛、それを、平然と馬上から見物していました。
長政は、命の取り合いやってます。
一歩間違えば、首をとられるところでした。
だけど、長政、その明軍の兵士を、討ち取ります。
長政、激怒して、又兵衛に、何故、助けなかったか、聞きます。
返事は、
「その程度は、殿の敵では、ありません。むしろ、その程度の敵を倒せなくてどうしまするか」
と、のたまいました。
一歩間違ったら、死んでたとこで、家来がそんな生意気な事を言ったので、終生、長政は、又兵衛を嫌いになったとの、話があったそうです。
で、そういう訳で、又兵衛は、黒田家から追い出されることになります。
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