河内の歴史とか

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さて、問題です。 穴穂部間人皇女。 この方の名前を、なんと読みますか。 多分。 あなほぶかんじんこうじょ、って読んだ方は、普通です。 答えは。 あなほべのはしひとのひめみこ。 一目見て、こう読んだ人は、古代史オタクですね。 あなほべのはしひとのひめみこさん。 蘇我氏の一族の女性です。 用命天皇の皇后様であらしゃらるます。 そして、かの聖徳太子様をお産みなされます。 このあなほべのはしひとのひめみこ様。 河内の八尾市の宮町一丁目にある穴太(あのう)神社で生まれました。 この宮町の穴太神社。 筆者が働いていた時の配達地で、けっこう思いで深くもあります。 そして、この穴太神社は、府道21号線の近鉄大阪線との交わる北側にあり、でかい看板が(聖徳太子、生母の生まれた場所)あって、すぐにわかります。 近鉄線(高架から見て)から乗ってても、北側に森みたいなものがあって、すぐにわかります。 久宝寺口駅と八尾駅の間のところからみれます。 そして、その穴太神社の北側が、かの大坂夏の陣で舞台になった八尾の戦いで有名な萱振町があります。 その穴太神社の南側の久宝寺という町に、豊臣方の長宗我部盛親が物見をしたと、云われる松の木があります。 久宝寺小学校の北西側にありますので、よければご確認を。 その久宝寺で。 生まれ育ったのが、関西人では、けっこう名の知れた有名人の、河内音頭の名手。 河内家菊水丸さんです。 たぶん、芸能人の(マニアックな)グッズ集める有名な方なので、知ってるかも知れませんね。 そして、その久宝寺の南側に渋川町という場所があります。 そこに、物部氏が建てた、お寺の跡があります。 このお寺の事は、後ほど書くとして。 その久宝寺の町を東西に一本の道路が通ってます そして、その久宝寺の隣の町が神武町といいます。 神武? そう、神武天皇からとられた名前らしいのです。 神武天皇とは、初代の天皇陛下ですね。 そして、その久宝寺の道が、日本書紀に書いてある、神武東征で通った道なのです。 名を神武街道と呼ばれてます。 河内を横切り、大和の国に入ろうとした、神武天皇陛下。 まさか、住んでる近くに、こんな道があったとは知らなかったですね。
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