紫陽花は色褪せない

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 恵似子の長い一日が終わり、研究所を後にして、自宅マンションに着く頃には、すでに真夜中の12時を回っていた。マンションのすぐ下には、小さな公園があり、紫陽花の花びらについた雨のしずくが、丸い月明かりを映して輝いている。自宅マンションに着くと、すぐに恵似子はスーツを脱ぎ、一糸まとわぬ姿になると、シャワールームへと向かう。熱いシャワーを浴びながら、自らの背中の大きな傷に触れる。 ここに、あなたが生きている。待ってて。 彼女はこの傷が、自分の生きる罪なのだと思った。  恵似子は、幼少の頃より、体の弱い子供であった。 すぐに熱を出して、体中が浮腫むので、心配した母親が病院へ連れて行くと、あまりにも惨い現実をつきつけられた。彼女は腎臓が上手く機能しておらず、命をつなぐのは、生体腎移植しか手立てが無いというのだ。 その日から、恵似子は入院し、ドナーを待つ生活となった。  長い入院生活は、幼い子供にとって、どれだけの精神的苦痛を与えたであろう。そんな彼女にも、院内で友人が出来た。その友人は、同じ小児病棟に入院しており、名前をカナコと言った。カナコは病気で、声を発することも声を聞くこともできなかった。だから、もっぱら彼女との会話は筆談である。カナコとの会話は、彼女の入院する前の学校の友人のことであり、彼女の好きな本の話題である。入院生活も長くなると、同じ世代の子供の話相手は貴重であり、カナコは間違いなく、彼女の親友であった。そして、恵似子は、彼女の書く、奇想天外なお話が大好きであった。どんな絵本よりも、小説よりも彼女の創作する話が好きであった。 「カナちゃんは、凄いね!きっと将来、凄い作家さんになるよ!」 恵似子が筆談でそうカナコに話しかけると、カナコはどこか寂しげに笑った。 大丈夫だよ、カナちゃん。きっと元気になるから。一緒に退院しよう? いつになるかわからない退院の日に希望を馳せて、お互い励ましあったのだ。  恵似子とカナコの筆談は、紙では追いつかずに、恵似子は母親に頼んで、交換日記をねだった。 「おかあさん、カナちゃんのお話ってとっても面白いの!おかあさんにも読ませてあげるね!」 無邪気に笑う恵似子が不憫でならなかった。
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