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あの時期、湯であがったパスタのお湯を捨てながら、みずみずしいレタスの葉をちぎりながら、フライパンを振りながら、淹れたてのコーヒーの香りを嗅ぎながら、ぐるぐる回る洗濯機の渦に吸い込まれそうになりながら、私は何度涙を流しただろう。
そんな矢先におきたのが、東日本大震災だった。テレビの画面にくぎ付けになった。
迫りくる巨大な津波。まるで意志を持っているかのように、海水が街を侵食してゆく。あっという間に船が流され、家が流され、車や人が流されてゆく。全てが濁流に飲まれてゆく。大地には亀裂がはしり、人々の日々の営みが、過去の積み重ねが、人生そのものが、根こそぎ奪い取られてゆく。
物理的には遠く離れた場所から、私はあの衝撃を疑似体験していた。破壊されているのは私そのものだ、と思った。数年かけていたぶられてきた私の精神を具現化したら、きっとこうなる、まさに私自身が壊れていく様を見せられているような思いがした。
そのせいか、直接被害にあったわけでもないのに、東日本大震災の動画を見ると今でも息が苦しくなる。
あれから5年後、未曽有の大震災をなんとか生き延びた私は、自分自身を取り戻しつつある。ぐわんぐわんと揺れ裂ける大地の上で、途方に暮れながら震えていた私はもういない。
DV関係の本を読みあさり、自分の置かれた状況を理解し始め、鬱と診断され、友達にサポートしてもらいながら通院を続け、薬を飲み、司法に助けを求め、DV被害者のためのワークショップに参加し、何百回ものカウンセリングと、自分との孤独な対話を経て、私はやっと目を覚ました。
私が悪いから彼が怒るわけではない。彼は「攻撃せずにはいられない」人間なのだ。私が何をしようと、何をしまいと文句をつけるのは、そうすることによって自分の優位性と支配を守るため、それだけのことだった。
『私ニ責任ハ、ナイ』
木端微塵に壊れた夫婦は、今も同じ屋根の下に暮らす。片方は全く変わらない。相変わらず、自覚することなく、周囲に毒をまき散らしている。
もう片方は、何もかもが流され、破壊された更地に、再び花を植え、家を建て始めた。
少しずつ復興が進む私の大地にあの人が足を踏み入れることは、もはや金輪際ないだろう。
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