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ファック、シット、サックアス、ビッチ、ブルシット…日本のごく普通のサラリーマン家庭に育った私はこういった薄汚い言葉に馴染みがなく、機嫌を損ねる度にこれらを連発する彼が、信じられなかった。こんな程度の低い、器の小さい男を選んだ自分を呪った。
原因不明の微熱や頭痛が頻発するようになった。
急な差し込みがおこり、脂汗をたらたらと流しながら、ひんやりと冷たいトイレの床に這いつくばったまま動けなくなったことも、一度や二度じゃない。今思えば、精神的な緊張がその要因だったのだろう。
はやいうちに、自分の置かれていた状況に気が付けば良かったのだ。
だが、言葉の暴力の罠は、巧妙にしかけられ、私は全くもって混乱していた。あの頃「DV」「モラハラ」といった言葉は、まだそれほど知られていなかった。日常的に精神的な暴力に晒され、見る見るうちに、私は自信を失っていった。そして多くの被害者がそうするように、自分を責めた。
私が至らないから、話をしたタイミングが悪かったから、私がしっかりすれば、私の伝え方が悪かったから。
最近ストレスがあるみたいだから、雨続きで気分がむしゃくしゃしているのかも、寝不足だったみたいだから、仕事が大変そうだから。
ひたすら自分を否定し、相手を肯定する。そんな無意味なことを、なぜ何年も続けてしまったのだろう。私は、完全に虐待のサイクルにはまっていた。穏やかな時期と虐待の時期は交互にやってきた。
あの頃の彼は「ジギルとハイド」を思わせた。
ある事に対して、ある時は反応せず、別の時には豹変したように怒る。2つの状態ははっきりと理由もなく繰り返されるため、私は振り回された。どこに埋まっているかわからない地雷を避けようと、毎日必死だった。
Emotional Abuse-精神的な虐待は続いた。
心理的な親密と疎遠、私達はその間をいったりきたりしていた。いっそ距離が近づくような一瞬など皆無であればよかったのに。今度こそ分かってくれたかもしれない、などと淡い期待を抱かずにすんでいたなら、これほど深みにはまり、血だらけの心でのた打ち回ることもなかったのではないか。
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