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再度口を開いた後藤くんの言葉はちょっと意外なものだった。
「でも、よかったじゃない。小川さん」
「へぁ?…何が?」
ミックスフライ定食の得体の知れないクリームコロッケを取り落としそうになった。人が百パーセントない、って言ったそばから。喧嘩売ってんのか。
彼の方を思わず見遣ると、向こうはやっと箸をとって生姜焼き定食を食べ始めた。
「…だって、生まれて初めて人を好きになったんでしょ。それ自体はないよりある方が全然いいじゃない。…悪くないでしょ、誰か好きな人がいることって」
わたしは少し胸を突かれた。瀬戸さんに会う前、瀬戸さんのいないわたしの人生。それに較べたら。
…今の方が。断然いい、のかな…。
「そうかもしれないけど」
あの人がコーヒーを淹れる骨ばった手の甲。穏やかな低い声。静かに微笑む横顔。わたしをまっすぐじっと見つめる目。思い浮かべるだけで胸の底がじわっと温まる。それ自体は幸せな感覚なのかも。…でも。
「…概ね、苦しいことの方が多い気が…」
思わずぼそっと吐露すると、後藤くんが口許を曲げた笑みを浮かべた。微妙に意地が悪いような。
「じゃあそれもよかったんじゃないかな。気持ちが身に染みてわかるようになったでしょ、小川さんのこと好きな野郎どもの」
…わたしは憮然として腕を胸の前で組んだ。
「それは説教?…竹田にもっと優しくしてやれってこと?」
彼はちょっと言い過ぎた、と感じたのか慌てて首を横に振った。
「いや具体的にどうこうってわけじゃないけどさ。でも痛みって自分が経験して初めてわかることもあるから。知らないより知ってる方が幅が広がるって考え方もあるし」
「そりゃ、脚本家さんはね」
わたしは遠慮なくため息をついた。もうここまでぶっちゃけちゃったんだから、今更後藤くんにどう思われても、知るか。
「でもわたし、竹田に限って言うとこれでも結構優しくしてる方だと思うな。今のところ向こうがわたしに飽きるまで別れるつもりも特にないし。意外に本人も不満もそれほどないんじゃない。そりゃ、奴に黙って他の人のこと好きなのはちょっと申し訳ないけどさ。そもそもわたしが奴に恋愛感情がないのは初めから承知で付き合ってるわけだし」
「だからそこら辺が。…気の毒ポイントかも」
彼は気まずそうにぼそぼそ呟いた。
「大体そう言いつつ、さっきから結局LINEも見ないしさ…」
わたしはむくれた。何でそんなにあいつの肩持つのさ。
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