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しかし、人間というのは案外丈夫なもので。
死に至るほどの悲嘆も、三日も続けば涙も涸れるし飽きるし開き直れます。
現に今の私は、完全に色を知覚できなくなりましたが、何とか生きて日々を過ごしています。
幸い、職場は障碍を個性として扱ってくれて、仕事にもさほど支障はありませんでした。
出かける際には、色の入った眼鏡をかけます。視力に問題があると周囲に分かりやすくするためです。
この日も私は、出勤でした。
起床して朝食と身支度を済ませ、黒いジャケットを羽織り、いつものように外出用の色眼鏡をかけ、ドアを開けました。
すると運悪く、廊下を走っていた人とぶつかってしまいました。
よろける私の肩を、相手が掴んでくれ、どうにか転倒は免れたのですが。
「……佑島さん? どうされたのですか?」
見ると、相手は右隣に住む佑島さんの旦那さんでした。
三年前に感じた、『揃って温和な人柄の夫婦』という印象は変わらず、いつも和やかに挨拶してくれる佑島さんです。
なのに今は顔を強ばらせ、ひどく焦っているようでした。
「ーーっ、何でもありません!」
ひっくり返った声でそう答えると、佑島さんは倒けつ転びつ走り去り、階段を下りていきました。
訝しげに思いながらも、私はその後に続きました。
マンションのすぐ近くに交差点があります。佑島さんは運悪く信号に捕まり、その場で足踏みをしていました。
(何故、ああも焦っているのだろう)
ーーすると、佑島さんが走り出し、向こう側に渡りました。反射的に、私も歩を進めようとしましたが。
「危ない!」
その声と、目の前を猛スピードで走る車に阻まれました。
口から心臓が出るほど驚いた私は、信号を見上げました。しかし、空も町並みも信号もモノクロームでした。
それでも見当はつきました。ーー赤信号だったのか。
そういえば音楽が流れていなかった。
つい佑島さんにつられてしまい、確認を怠ってしまった。私は猛烈に反省しました。
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