妹のプリン

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  盗んで飲む水は甘い、と聖書は謳う。無味であるはずの水に甘さを覚えるならば、盗んで食べるプリンの甘さはいかほどのものか。私的な経験から言わせてもらうと、至福、という語を惜しむものではない。まったく。  冷蔵庫に目的のものを発見したときの喜び。それを首尾よく自分の部屋まで持ち込むまでの焦燥。カップから小皿に移す際の、型崩れはしまいかという不安。艶めかしい光沢を帯びた表面を露わにし、量感を全身に震わせる、無欠の姿を見たときの目眩。そこへ、使い古され、鈍い光しか発しなくなったスプーンを突き入れる前のためらい。突き入れ、抉り取り、口に運び入れたときの達成感と喪失感。興奮で乾ききった口内から染み入り、そこから脳髄へと染み渡る、甘美で滑らかな味わい。喉を滑り、胃袋へと落ち込んでいく余韻にひたる自我と、がつがつとスプーンで抉り取っては動物的に食い尽くそうとする身体の分裂感。やがておとずれる、カチン、と空を切るスプーンの音の寂寥感。  そして、もちろん、 「お兄ちゃん、私のプリン、食べちゃったでしょう…………!」  眉を吊り上げ、目の端に涙を浮かべながら、詰め寄ってくる妹と相対したときの、罪悪感と充実感。  うむ、と私は、自分で自分に納得する。実家で妹と同居した十二年間、一度も欠かすこと無くプリンを盗もうと試み続けるのには、結構な苦労があったが、それに見合う価値のある『甘さ』ではあった。  とはいえ、やはり、やりすぎではあったのだろう。私と妹のプリンをめぐる争いは、日毎にエスカレートしていったからだ。  まず、妹が講じた防衛策は、自分のプリンに名前を書くというものだった。それに対し私は、一秒もためらうこと無くインキを拭い去り「名前? そんなもん、書いてなかったぞ」と嘯いた。  次に、講じられた策は、カップに名前を刻みこむというものだ。これに対して私はまず、近所のコンビニに行って、同じ種類のプリンを買った。それから、買ったプリンを友人に食べてもらい、空カップを手に入れる。そのうえで妹のプリンを盗み食いしたあと、「確かにプリンは食べたが、お前の名前なんかどこにも刻んでなかったぞ」と友人に食べさせたプリンの空カップを見せつけた。  前二件の顛末に業を煮やした妹は、物理的な施策に出た。  つまり、小さなケースを買ってきて、その蓋に南京錠をかけたのだ。              
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