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「……綺麗だよ、とても似合ってる」
ネムノキで飾り付けられた彼女を前に、サンショウウオはぽたりと涙を溢した。
「……本当は、もっと前にこうしてあげるべきだったんだ。石なんかではなく、"本物"の妻に」
「おじさん、いま何て」
「……そうだよ、妻は石になどなってはいない。亡くなったんだよ…もう随分前にね」
それから、ぽつりぽつりと彼は話し始めた。
「あの日は、今日みたいに暑い夏の日だった。私は妻と出掛ける約束をしていた。ネムノキを見に行く、約束をしていたんだ。……でも私はその約束をすっかり忘れてしまっていてね。つい、他の日じゃ駄目なのかと、いつ行っても一緒だろうと言ってしまった」
「どうしてそんな事を…」
「前の日に狩りで遠くの沼地まで行っていてね、疲れていたんだ。要は面倒になってしまったのさ」
酷い話だろう、と言って彼は石にそっと手をやった。
「ところが珍しく妻が駄々をこねた。どうしても今日がいいんだと。……今になって思えば、彼女が我が儘らしいことを言ったのは後にも先にもあの1回きりさ。だがあの時の私は、意地になっていて後には引けなくなってしまってね、つい言い争いになってしまったんだ。結局、彼女はひとりで行くと出掛けて行った。お土産に、花を持って帰ってくると掛けてくれた声にも背を向けたまま、見送りさえしなかった」
ぽたり、石の上に水滴が落ちる。
「そのまま妻は帰ってこなかった。次の日も、その次の日も」
ぐっ、と握りしめた拳がかすかに震えている。
カワセミは何も言わず、話にじっと耳を傾けていた。
「最初は、妻も意地をはっているのだと思った。けれども待てど暮らせど帰ってこない。さすがに心配になってきてそこら中を探しまわった。川も、茂みも、沼だって、それこそ山中で探してない場所はないんじゃないかと言うくらいにね。…でも、見つからなかった」
「そん、な……」
「どこかで怪我をしたのか、何かに襲われたのか、今となってはもう分からない。いっそ彼女の後を追おうと捻木の森に入って、そこで"彼女"を見つけたんだ」
石の上にちょこんと飾られた花がふわりと落ちて、水面に波紋をつくった。
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