第1章

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「佐伯さぁん。今、急ぎの仕事とかありますかぁ?」  ――きた。また、今日も。 「……いえ。急ぎのものは特にないですよ」 「それじゃあ、悪いんですけど、これ、頼めないですかぁ? 明日までやらなきゃなんですけど、私、急用ができちゃって。今すぐ出ないと、どうしても間に合いそうにないんですよぉ。本当に申し訳ないんですけどぉ」  悪びれる素振りが鼻につく。少しも悪いと思っていないくせに。 へりくだった物言いは、第三者にとって柔らかい耳障りへと変換され、あたかも好印象のようだ。  こういう女性は要注意だ。立ち回りが上手く、さらには容姿も割といい。 しっかりとケアされた、緩いウェーブの栗色の髪の毛に、手元はオフィス用に控えめだけど、きらりと光るラインストーンをあしらったピンク色のネイル。 やりすぎない、ちょうどいい塩梅のチークとリップは、可愛らしい彼女の顔を、さらに魅力的に演出している。  断ったところで自分が冷ややかな眼差しの対象になるだけ。そう言い聞かせて返答した。 「わかりました、いいですよ。」 「えっ! いいの!?  やったあ~。ありがとう、佐伯さん。他の人には頼みづらくって」 他の人には言わないのに、私にだけは頼めるのかよ。 私はあなたの便利屋さんではないからね、なんて強めのツッコミを入れる。当然、言葉にはできない。自分だけの、心の中で。 「いえ、そんな。相田さん、お急ぎでしたら、気を遣わなくても大丈夫ですよ。書類、やっておきますから」 「すっごく助かる! 今日ね、実は久しぶりに彼氏に会えることになってね。私たち遠距離だから、できるだけ、会えるときに会えたらなって思ってたんです~。ふふふ、嬉しい! ありがとうございますぅ!」 「いいですよ、大丈夫です。その代わり、今度コーヒーの一杯でも奢ってくださいよー」 「おっけー、もちろん。ランチにデザートもつけちゃう! ごめんね、ありがとうございま~す! それじゃあ、お先に失礼しまーす!」     ――ガチャッ、ガタガタ、パタン  勢いよくカバンを持って、小走りでエレベーターへと向かっていく彼女の後ろ姿から目を離せないでいた。
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