137人が本棚に入れています
本棚に追加
/85ページ
そう言えば、ボタン。
切ることだけに集中していて、ボタンの行方を確認していなかった。
みれば、目の前の女子の手の上にある。
けれどまたパニックを起こしているようで、ボタンを公開しながらただ口をパクパクさせるばかりだ。
広げたその手は女子の胸元にあって、黙って手を伸ばして取り上げるのも憚られる気がした。
そのまま返してくれればいいのに……。
見開く目も、開いたり閉じたりを繰り返す口元も、何か言いたげなのに、言葉にならないらしい。
仕方ない、3度目の指令を出すか。
「深呼吸」
相手も今度は心得た様子で息を吸い、吐く。
……。
その姿にまた頬が緩んだ。
どうやら自分は、今の状況を面白がっているらしいことに気付いた。
でも、いったい何を面白いと思ったんだ?
……。
その検討もまた後にしよう。そろそろ本気で遅刻する。
それは女子もだろう。
とりあえず、ボタンを返してと口に出そうとしたところで、ようやく言葉がまとまったらしい女子が声を出した。
「すみません! 有難うございます! 紐切らんといてくれて……」
あらためてお礼を言われて少し面食らいながら、「切りにくそうだったから」と素っ気なく返した。
実際その通りだから。
組紐は機械じゃなくて手組みの堅牢そうなものだったし、それより縫い糸のほうがはるかに切りやすい。
それに、2色使いが美しい組紐をわざわざ断ち切るのもしのびない。
おそらく誰だってそう判断するだろうことをしたまでだ。
最初のコメントを投稿しよう!