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その頃の私は、入社したばかりで要領を得ず、毎日失敗ばかりしていた。
その日、ランチタイムのホールを担当していた私は、トレイにアイスコーヒーやアイスティーなんかをたくさん乗せて運んでいて、急に椅子から立ち上がったお客さんとぶつかって転倒。
持っていたそれを全部落としてしまい、店内が大騒ぎになった。
『すみません、お客様!お怪我はありませんか?ほら、ぼーっとしてないで早く片付けて!椿さん!』
これ以上ないというくらいの失態を演じた上に、店長に怒鳴られ、おまけに制服がびしょ濡れになって、泣きたい気分だった。
その時…
『大丈夫?』
尻餅をついたまま、なかなか立ち上がれなかった私にそう声を掛け、手を差し伸べてくれた男の人がいた。
見上げると、間接照明のライトで丁度逆光になっていて、その人の顔がよく見えない。
声の感じからして若い男性だというのは分かったけど、恐る恐る手を出すと、その人は私の手を掴んで立ち上がらせてくれた。
『大丈夫?濡れちゃったね?制服…』
『あ、大丈夫です…ありがとうございます…』
とにかく恥ずかしくて、ロクに顔も見ず、挨拶もそこそこに床を片付け始めた私に
『頑張って?新人さん』と…
私の頭をポンと撫でて、彼はその場から立ち去ったのだった───…
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「やっと思い出してくれた?」
「…はぁ…」
でも、待って?…ちょっと待って…
頭が追いつかない…
「俺ね、あの時まだ大学一年で…
『あーぁ…そそっかしいなぁ、この人大丈夫かな』って思って…
で、その後も何度かお店に来たんだけど、全然俺の事覚えてないみたいだし。
真子さん凄い必死だったから、笑わせてあげたいなぁ、どうやったら真子さんにアピールできるかなーって考えて…
で、『そうだ!真子さんと一緒に働いちゃえばいいんだ!』って閃いちゃって。
だから早く就職決めて、絶対ここでバイトしようってずっと思ってたんだ」
「…嘘…でしょ…」
信じられなかった。だって彼がまさかあの時の…
だけどそう、それがあってからだ。私があの夢を見るようになったのは…
毎日の忙しさにすっかり忘れていた。
自分がしてきた失敗も、自分が“新人さん”と呼ばれていた頃の事も。
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