第1章

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 老人ホームはここが三カ所目だった。父の忠史に認知症の症状が現れて、最初の老人ホームに入所させたのは三年前。その頃は、今いる場所がわからなくなって迷子になったり、食事が終わったばかりなのに「食事はまだか」と騒いだりする程度だった。それが、ここ一年あまり、女性職員や訪問者の体を触ったり、他の入所者のベッドに潜り込んだりするようになった。そういった入所者はこれまでもいたらしく、職員たちも大騒ぎせず、適切に対応していたらしい。だがそのうち、決まった女性にしか手を出さないことがわかってくると、わざとやっているのではないかという疑いがもたれた。それでなくても忠史の場合、認知症状が現れている時とそうでない時の状態に大きく差があり、普段から下ネタで気を惹こうとするところがあったため、職員の心証も悪かった。最初の施設の職員がたまたまそんな判断を下しただけだろうと高をくくっていた澤木だったが、三カ所の施設で同じ結論が出されたとなると、これはもうあきらめるしかなかった。  「勘弁してくれよ……」  もう家で面倒を見るしかないだろう。泣きたい気持ちを紛らわせたくて妹の萠子に電話する。が、「やっぱり退所する事になっ……」と言ったところで、無情にも電話は切られた。これもある程度予想していた事だった。萠子は一カ所目の老人ホームを退所する事になったとき、自分は嫁ぎ先の老親の世話があるから父親の介護はできないと、はっきり言い放った。老親と言っても、確かまだ六十代半ばで、二人ともピンピンしているはずだ。しかも義弟には兄姉がおり、余程の事情がなければ、萠子にその役割がまわってくることはないだろう。澤木は萠子の話を訝ったが、それ以降、事あるごとに電話するものの、態度を変えることはなく、ひどい時には電話にさえ出なかった。 「まあ、わかってはいたけどさ……」
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