朴念仁の梅仕事

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「……夢か」  午前八時。  どこからか聞こえる誰かの話し声で目が覚め、暫し微睡みを楽しむ。  カーテンを透かす陽光をぼんやりと眺めつつ、階下や庭の辺りから響く賑やかな物音や会話に耳を傾ける。  どうやら、声の主は母と弟らしい。 (あ、そうだ。今日は梅の収穫をするって言ってたっけ)  起き上がり、温かな寝床から窓辺へと向かって窓を開ける。  梅の匂いを乗せた初夏の爽やかな風が、開け放った窓から入り、寝起きでボサボサの髪とお気に入りのカーテンを揺らした。  天気は上々。空は雲ひとつない青空だ。  バルコニーに出て階下の庭を見下ろせば、タライやザル、ブルーシートなどが、家人により運び出される最中だった。 「おはよう。二人とも、朝から大張り切りね」 「おはよう、サク。絶好の収穫日和よ」 「姉さん、おはよう。朝ご飯はできてるから、適当に食べて」  庭に向かって声を掛ければ、母と弟はこちらを仰ぎ返事をくれる。その表情は実に楽しそうだ。 (ずっと、今日の収穫を楽しみにしていたものね)  保存食作りが共通の趣味である母と弟は、庭の梅が実をつけ始めた頃から、待ち遠しそうにソワソワしながら梅仕事の綿密な計画を立てていた。  なんでも、申年――つまり、今年穫れる梅は縁起がいいとかで、例年よりも梅仕事に掛ける張り切り度合いにも拍車がかかっていたのだ。  そうして二人が待ちに待った今日、漸く訪れた梅の収穫日。  朝から活き活きとしている彼らを見て、私のやる気が湧いてきた。  こんな楽しげなイベントなのに、ただ黙って何もせずに過ごすなんて勿体無い! 「朝ご飯を食べて、手伝うね」  二人にそう告げると、手早く着替えて部屋を出る。 「うわ……何これ」  慌ただしく向かったリビングにて、目の前に広がる光景を見て、私は唖然とした。  普段は整然としている家族の憩いの場が、大量の容器で占拠されていれば、誰だって自分の目を疑うだろう。  リビングの入り口で茫然とする私の前を、母がひと抱えはある大きな容器を運びながら上機嫌に横切っていく。 「今年はね、色々作るわよ。大忙しよー」 「そうみたいね」  宣言する母の気合いは、リビングの台という台に、ずらりと並んだ寸胴型の瓶を見れば一目瞭然だ。  熱湯とアルコールで丁寧に消毒された容器が、清潔な布巾の上に伏せられているのは度々見るけれど、瓶に部屋を占拠されるなんて滅多にない。 「何時から作業を始めたのよ」 「他の家事もしながらだから、朝六時だね」  収穫した梅の実を入れるための籠を庭へと運びながら弟が答える。  業者でもないのによくやると呆れつつ、食卓に目をやると、半ば瓶に埋もれる形で父がコーヒーカップ片手に読書をしていた。 「おはよう、父さん。この状況で、よく読書できるわね」  見るからに窮屈そうだし、瓶から漂うアルコール臭で酔いそうだ。しかも家人が慌ただしく動き回る中で、よく落ち着いて本なんて広げられるものだ。 「おはよう。書斎にいても、梅もぎに呼ばれるだろうからここにいる」 「あら、珍しく手伝うのね」  普段から家事全般を母任せにして書斎に篭もりきりの父が手伝いとは、どうしたことだろう。 「『珍しく』は余計だ」  父はこちらの皮肉をものともせず、淡々と告げる。視線が一向に本から離れないのも相まって、どうにも癪に障る。 (もう少し、愛想よくてもいいのに)  私、御門(みかど) 朔夜(さくや)。十七歳。  朴念仁な父親が、最近ちょっと疎ましい。
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