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「姉さん、どうしたの? 豆鉄砲でも喰らった?」
私の手から濡れタオルを取り上げた弟が、固まった私を見て怪訝な表情を浮かべる。
「豆鉄砲どころか、ショットガン喰らった気分よ」
「はあ……」
事情を知らない弟に、先程起きた事を話せば、弟は「ああ、うん」と、妙に呆けた様子で頷いた。
この、実に微妙な反応は、父の行動に対するものではなく、私に向けたものらしい。『コイツ、今更、ナニ言ってるんだ』と据わった目が語っている。
(私がおかしいの?)
姉弟として、同じ父の様を見てきたはずなのに、この反応の差はなんだろう。
「あのさ。父さんはとびきり優しいんだよ、母さんには」
「嘘……でしょ……」
弟の発言に私が半眼で疑ったのは、私の持つ父の認識とあまりにも違うからだ。
これまで私が抱いていた父の認識と云えば、家事や育児を母にほとんど丸投げし、子供達とも積極的に関わろうとはしない、家族を顧みない愛情の冷めた人だった。そんな父が『優しい』なんて、にわかには信じがたい。
その他にも、弟の台詞にどうしても引っ掛かることがある。
「ママ『には』って何よ? 私達は含まれてないニュアンスと取れるけど」
「そう」
私からの問いかけに、弟は真顔で頷き、二秒経ってから(普段はニコリともしないのに)半笑いで首を傾げた。
「……かもね」
一度肯定しておきながら、即座に有耶無耶にしたのは、質問者にとってはあまり好ましくないであろう答えを、直球で返すのに躊躇った結果なのだろうか。
彼の苦肉の策はひとまず無視して――というか、語尾を曖昧にしたことで、余計に真顔の返答が強調されたんじゃないだろうか――弟の返答により、少なくとも彼自身が、『父は母には優しいが、子供達には優しくない』と実感しているのはわかった。
その事実を弟がどういう気持ちで受け止めているのかまではまだ把握できないが、弟と同じ境遇である私にとっては、あまり悲観するものではない。
(まあ、今までほぼ放任されてきた人に、今更優しくされたって気持ち悪いし)
ただ、父は母にだけ優しいと告げられると、父に親子という概念はやはり稀薄なのだろうな、と捉えてしまうのは仕方ないのではないだろうか。
一言で表すならば、「この親父、ありえねーわ」といったところか。
父はきっとこの先も、私達に優しく接する事はないだろう。その気があれば、とうにそうしているはずだから。
(構わないわよ、別に)
父に振り向いて貰わなくても、これまでどおり母がいるからいい。でも――
「なんかモヤッとするし、ムカつくわ」
濡れタオルを父に投げつけてやろうか。片手に握った濡れタオルを横から攫ったのは弟だった。
「だろうね。でも、僕らがどう足掻いても父さんは変わらないよ」
私が握ったせいで型くずれしたタオルを手早く畳み、母と会話中の父に渡す。その間の弟の表情には、特に際立つ感情は見られない。
父に対する諦念もなく、ただ、「そういう人なんだろう」と甘受した様子だった。
(これじゃ、私だけ拗ねてるみたいじゃない)
唇を尖らせて数秒。いつの間にか力んでいた肩の力を抜き、ため息を吐いた。
とりあえず今はまだ、胸の奥でくすぶる種火が、これ以上燃焼しないように抑えておくか。
(でも、それにしても――)
父と母を見やり、ぼんやりと考える。
(ママに『だけ』って、なんだか固執みたいね)
世の夫婦とは、皆さんそういうものなのだろうか。
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