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突然降ってきた懐かしい声、スーツから感じる懐かしい香りに奏の心臓はばくばくと高鳴っていた。
「――どうして?」
いったいどこからやってきたのだろうか。先ほどの青年の話によれば、このホストクラブは夕方にならないと開かないはずだ。
ゆるゆると素人目にもわかる高級ジャケットを取って恐る恐る見上げれば、懐かしくも整った顔がそこにあった。
相変わらずの伊達メガネに、緩やかにカーブした黒髪。
漆黒の瞳を覗きこんでみても、彼が何を考えているのかいまいちわからない。
「それはこっちの台詞。
そのスーツじゃ全く水を吸いそうにもないな。
うちにおいで」
「で、でも……。
別に、颯馬先生に迷惑かけたくてここにきたわけじゃなくて、ただちょっとふらふらしていたらここにたどり着いたって言うか。
だから、もういいの。大丈夫だから」
やれやれ、と、蓮登は呆れたように肩を竦める。
「奏は、追い詰められた時、やたらと『大丈夫』って連呼するんだよな」
「そんなことないもんっ」
「ある。
それから、ここでは本名は伏せて過ごしているので、これからは蓮登(れんと)って呼んでくれる?
先生も禁止」
喋りながらも、蓮登は返事を聞く気すらないらしく強引に奏の手を掴み歩き出した。
少し離れたところに愛車のポルシェが停まっている。
「ね、これ、車が濡れちゃうからやっぱり私タオル買ってくる――」
レザーシートを見て奏の顔が強張るのは当然のことだった。
蓮登は顔色一つ変えず言う。
「いいから乗る。革なんて張りかえれば済むんだし」
「でも――」
渋る奏を蓮登は強引に車内に押し込んだ。
何年も逢ってなかったとは思えないほど、昔と同じペースで会話を交わしていることに嬉しいようなくすぐったいような気分になる。
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