第3章:時には、牙を剥いて

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「獅子ヶ谷が……退職?」  思わず口に出してしまった。部長に手渡された依頼書の退職者の名前が獅子ヶ谷徹になっている。 「どうして、です?」 「今日、無断欠勤した。今は携帯もつながらない」  聞けば、今日は獅子ヶ谷の顧客である大手自動車メーカーとの大事な打ち合わせがあり、時間を過ぎても獅子ヶ谷が現れないとのこと。すでに上司である課長が先方へ謝りに向かっているとのことだが、いまだに獅子ヶ谷と連絡がとれないのだという。 「だからって退職手続きなんて、性急すぎます」 「連絡もなしに大きなクライアントとの打ち合わせをすっぽかすなんてありえないだろう。これでウチと取引中止になったらどうしてくれるんだ。新人社員の首程度で済むならまだ安い。いいからさっさと処理しておけ」  朝からこの対応に追われ、営業部全体が迷惑している、と部長は捲し立てた。総務の面々もその部長の剣幕に、反論できずにいた。  延々と続く獅子ヶ谷への不満を続けるのを浜村は黙って聞いていたが、抑えきれなくなり、部長の鼻先に書類を突っ返した。 「浜村、どういうつもりだ」 「総務としては受理できません。本人に連絡がとれなくて退職扱いになるケースは今までもありますが、今回は該当しません」 「なんだと?」 「今朝、獅子ヶ谷は会社に来ています」  姿を見たわけではないので、確証はない。けれど浜村の机に置いてあったアレは間違いなく今朝置かれたものだ。となれば、今朝出社した後に打ち合わせに向かったというのも考えられる。その後、何かあって連絡がとれない可能性もある。  それに浜村は確信していた。獅子ヶ谷は逃げ出すような人間ではないし、自分が獲得したクライアントにそんな不義理を行う人間とは思えない。
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