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葛西秋夫は、幼い頃に、父親の仕事の都合で、各地を転々として育った。しかし、忘れられないのは、群馬の山の中にある小さな村に住んでいた時のことだった。あの頃はまだ小学3年から4年の期間だったと記憶している。楽しかった!山のお寺の住職に可愛がられて、いろいろな遊びを知った。竹馬、ベーゴマ、缶けり。正月には住職が子供逹を集めて凧作りを教えてくれて、自分が作った凧を揚げた。それは楽しい日々だった。しかし、その村も2年程で出ていかざるを得なかった。
秋夫は定年を迎えて、何となく郷愁に駆られて、昔、住んでいた街を夫婦で辿る旅を始めた。最初は近いところから、少しずつまわった。小学生3年から4年の期間に住んだ、最も行ってみたいあの村は楽しみに最後まで残していた。
そして、ついに秋夫は妻を連れて、あの村に行くことにした。秋夫の車にはカーナビなんてものは付いていない。年寄りには扱い方がわからないから装備しなかった。今でも、20年前に買った地図帖を大事に使っていた。年を取ると、慣れたものに固執するようになってきた。
秋夫は愛車の古い軽自動車に妻の正枝を乗せて、目的地である群馬県笹子村を目指した。高速を若い奴等の車に追い越されながら走り、インターチェンジを降りた。そこからは一般道をノロノロと走った。笹子村はまだ遠い。ドライブインでトイレ休憩して、また走った。昼近くになって、ようやく、笹子村があと少しというところまで来た。
このトンネルを抜ければ笹子村だ。
秋夫の心は子供の頃に帰ったようにウキウキした。
笹子トンネルと呼ばれるそのトンネルを抜けると、そこにはあの懐かしい景色が広がっていた。村に入るとあの頃と全く変わっていなかった。木造の村役場の建物も、村の目抜通りにあったスカラ座と言う小さな映画館も、停車場と呼ばれた鉄道の小さな駅舎も、村の通りを行く人達も、全てあの頃のままだ。都市開発の波も、この山間の小さな村までは届くことができなかったようだ。秋夫は踏切で電車の行き過ぎるのを待った。この踏切を越えて坂を登りきった所にあの懐かしいお寺があった。
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