第1章

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明治時代の初めの頃、高野山に覚叡と言う老僧がいた。ある時、彼は弟子の一人、まだ若い亮泉を供に連れて山に入ることになった。二人は笈を背負い、錫杖を突いて、険しい山に分け入った。 覚叡は八十をとうに越えているというのに、若い亮泉が付いて行くのがやっとなほど険しい山道を、平地を歩く如く飛ぶようにして山深く入った。 「御師僧樣、話しかけて宜しゅうございましょうか?」 「ああ、尋ねるがよい」 「この道は初めてでございます。こんな道があったのでございますね」 「この道はのう、亮泉、その昔、お大師樣が開かれた道で、わしが若い頃に駈けた道なのだ」 「そうでございましたか」 「亮泉、おまえに言っておくが、わしは明日の明け方に遷化するであろう。その時にうろたえてはならんぞ」 亮泉は驚いた。 「御師僧樣、それは本当でございますか?」 「ああ、既にわしの命数はあと僅かじゃ。わしは、もう何年も以前から、自分の命数の尽きる日時を知っておった。しかし、それを弟子逹に伝えれば大騒ぎするに違いない。だから、黙っておったのだ」 そう言うと、また、黙って二人は山を駈けた。 途中の岩場で、二人は昼食を取ることにした。しかし、覚叡は食べようとはしなかった。 「御師僧樣、お食べになられないのでございますか?」 「ああ、この世を去る準備だ。ところで亮泉、やがて真言密教は死ぬぞ!わしが若いお前を供に選んだのは、お前を見込んだからだ。お前に最後の伝法を行うためでもある。今、高野山は、目の前の金峯山寺が修験禁止令で潰されたのを見て、うろたえておる。やれ文明開化だ、やれ科学だと、自らのお山を守るために真言宗の培ってきた大切なものを自ら捨てようとしている。だから、わしはお前を選び、最後に請雨法を授けようと思うのだ」 「御師僧樣、有り難いことではございますが、私は御師僧樣との別れはつろうございます」 そう言うと、亮泉は泣いた。 「亮泉、よいか!命ある者は必ず死ぬ時が来る。だから、法を伝えるのだ。師から弟子へ。弟子からそのまた弟子へ、未来永劫、法は伝え続けられるのだ」 二人は更に奥を目指した。
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