第1章

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吉村響子は、幼い頃にガンで母を失った。それから、父の手一つで育てられた。響子にとって父は優しく、一度も怒られた記憶が無い。いつも、響子がやりたいように生きていても、遠くから、優しく見守る、そんな父だった。 その父にガンが見つかった。老人のために進行は遅かったが、しかし、天国行きの片道キップをもらった事には違いが無い。響子は父には病名は伏せていたが、それに気づかない父ではない事は、響子が一番知っていた。響子は父との最後の思い出に北海道に旅行に行った。亡くなった母と父が新婚旅行で行った思い出の地だった。だから、母はラベンダーの花が大好きだった。この旅行が父との最後の二人きりの時間になると思うと辛かった。 それに、彼との結婚を急がねばと思った。父が出席可能なうちに花嫁姿を見せてあげたかった。 響子は、彼と相談して可能な限り早い時期に式場を予約して、準備を急いだ。何としても、父に自分の花嫁姿を見てもらいたい。その思いが強かった。 式は6月3日の午前10時に決定した。場所は、病院からタクシーで30分の教会だった。 響子は、病院にお見舞いに行く度に、明るく振る舞い、結婚の夢を父に語った。その様子を目を細めて話を聞いてくれた。響子にとってかけがえの無い父だった。 しかし、父の病状は無情にも早く進行していた。 響子がお見舞いに行くと、 「結婚式に出れるかな?もし、出れなかったらゴメンな」 死期を悟っているような言い方だった。 「何言ってるの?先生だって、頑張って退院しましょうって、言ってくれたでしょう?」 響子は、そう言って励ますしかなかった。 病状は良くなったり悪くなったりを繰り返すものだ。結婚式が近づくにつれて父の病状は小康状態になり、結婚式に出席するのも可能かも知れないと思えてきた。 式の当日は、看護師が同行してタクシーで式場に行き、着いたら車椅子に乗り換える手はずにした。式の前日は、直前の打ち合わせと準備のためにお見舞いには行けなかった。
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