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明け方。
澄みきった朝空のキャンバスに広がる、橙と紫の見事なコントラスト。
季節としては少し肌寒く、日が登るにはまだ早く。
夜中じゅう降り注いだ雨が嘘のように静かな朝。
美しく剪定された日本庭園に残った雨の滴が、より一層、空間を雅なものへと引き上げる。
「………ン…」
部屋の主が、意識を浮上させた。
押し開いた瞼がゆっくりと瞬きを繰り返す。
薄らと開いた眼差しは潤み、昨夜の情痕を色濃く残した肢体は、力なく布団へと投げ出されている。
部屋の主───辰巳はまだ眠気が抜けきらないまま、指先でシーツを辿った。
するりするりと滑らかに進む。
現在彼は白地の着流しに真紅の帯を身につけており、昨夜纏っていた着物はいつの間にか部屋の中から消えている。
情痕は残るものの、腹を汚した残滓は綺麗にされ、羽二重の肌は清潔に保たれていた。
布団も洗い立て、神経質なほど丁寧に敷かれ。
辰巳がシーツを掻き分けて指先を滑らせる度、少しずつ乱れていく。
(ああ……、そうだった)
その指先が何かを掴めたためしなど一度たりともない。
昨夜まであれほど熱く火照らせていた確かな隣の温もりが、目覚めればとっくに消え失せていることなど。
連れてこられた翌朝の時点で、すでに知っているというのに。
(今度は誰を抱くつもりなんだか)
男の背を埋め、左肩から心の臓までに描かれた刺青。
その肩に、項に、背中に、爪をたてる女はどれほどの女だろうか。それとも男か。一人か。あるいは複数人と関係を持っているのだろうか。
それこそ、己と男とを結ぶ希薄な関係のように。
「………痛、」
傷が疼く。
あの日男に撃たれた右足首の古傷が疼く。
傷口が塞がったはずの足は歩く機能こそ残すものの、満足な駆走や過度な運動は困難となった。
どの道、堅気から外れ、敵対勢力に捕まり、それでもおめおめと生きる自分は、外の世界にもこの邸にも爪弾きにされた身。
首輪や枷ではない。
辰巳をここに、この六畳一間に縛りつける要因は、目に見える拘束具などではない。
身体的理由と、社会的立場と。何より、己を浸食するあの男の存在が。
(…───災厄め)
目を閉じる。
泡沫の微睡みに縋る。
朝を越え、昼を越え、そうしてまた、いつ帰るかも分からない男の帰りを待ち続けている。
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