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アメリカ合衆国、ニューヨークのプレミアム劇場で喜劇は起きた。
その夜は、エグゼクティブ向けのクラッシックコンサートが開かれていた。
700人ほど入る席は、若いカップルや熟年夫婦、不倫カップルで満席状態だ。
タルティーニ、ヴァイオリンソナタ ト短調第3楽章、
悪魔のトリルの戦慄は心地よく弾みながら、
いつのまにか、嘆きと苦悩の中に飲み込まれていく。
最後の4小節、強く激しく弦がはねた時、
あってはならないことがおきた。
ヴァイオリンの第1弦が切れたのだ。
チーンと金属が欠けたような音は、客席に届くほど大きくはなかったが、
観客の注目の中では隠すことができなかった。
ヴァイオリニストは曲を弾き続けたが、
誰がどう考えてもその日の演奏は失敗だ。
欠けた音は取り戻せない。
伸びた間は、削れない。
眠りかけていた紳士淑女さえ、まぶたを上げ、瞳を見開いた。
一流ヴァイオリニストの悲劇に、一部のファンは同情したが、
多くの観客は悲劇の一瞬に立ち会えたことに幸福を感じた。
「これでSNSの話題ができた」
観客は声にしないが、スマホに手を伸ばした。
弦はコンサートの前に張り替えたのに……
ヴァイオリニストの心は揺れた。
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