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企画とはその物差しから測っていけば、制作側の、人格の投影された成果物に等しいと感じる。
だからアニメ化の為の企画を公募するのは、個人の所感としては、『博打を上回る危険性と不安定さを内在させてでもやりたいことなのか?』と疑問は尽きない。
企画のやりとりや精査は、懇意の間柄でなければ成立しない。平たく言うと、一見さんお断りだ。
一個人の目先の「私が作りたいから」という衝動や欲求からの請求だけでは、公共に与える影響の大きい出資者が納得行く訳無い。欲求とともに情報発信をする公共性も鑑みなければならない、それを無作為に受け止めるキャパシティは無いのだ。故に、人格あっての企画だ。
だからこそ『メカつく』は先行き不透明と受け止めながらも、だからこそその存在に意識を向けたし能動的になりもした。
『この先どうなるのか?』の疑問は、第一次シナリオ・デザイン公募期間を知った時から発生しつつも、『手の届かない範疇は信じるくらいしか出来ない。なら信じよう』と、第二期公募まで参加した。介在の許さない事柄・範疇に対して、消極的と楽観的を二律させて、である。私が『メカつく』を知った時から二年以上を経て、ようやくテレビアニメの放映という、来るべき瞬間が訪れようとしている。
私の知る限りでは、今現在、『RS計画』には商品展開の情報が流れてきていない。放送日が迫ってきているのにも関わらず、だ。
もし、この試みが成功するのならば、これからのテレビアニメのあり方も変わるのかもしれない。
補填ありきの商品展開が先行した作品とは趣の異なる流れは、一夜限りの宴になるのか。
それとも、漫画の神様が遺した爪痕を、50年ぶりに埋められるだけの素地が整いつつある、その第一歩となるか。
一個人として、私はセンチメンタリズムと笑われても、何かを創る事の今までもこれからも良いものとしたいと思うのである、性分という染み付いたものを払拭したくないからだ。
時間が経って『メカつく』を振り返った時、その時を『来るべき世界』と作り手と鑑賞者の双方が臨める事を期待する。
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