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「それは仲居頭と監督者の大女将の沙知さんの責任です。わたしはお客さまのおもてなしに徹していて何の責任もないわ」と母が言い返した。いずれがアヤメかカキツバタの言い争いは着物の柄だけのことで、メスダヌキ同士の罵りあいはまことに醜い光景だった。母と沙知はやって来た新太郎の姿を見ると喧嘩を中断し、ツンとして二人とも何処かへ行ってしまった。新太郎は、トレイにマンジュウとデザートのパインの輪切りとコーヒーを乗せると自室に運び、音量を絞った深夜テレビのお色気番組に見入った。新太郎の部屋の階下が父の開かずの間だった。その部屋は静寂に包まれていた。テレビがプロレスの画面に変わったので切った。もう寝ようと思ってカーテンを閉めに窓際に立った。最初は途轍もなく大きな蛍の光みたいなものかと思った。だが池の上で不気味に赤く輝くものは鬼火とも言うべき新太郎が見たこともない火の玉だった。
『これはひょっとしたら人魂じゃないか』と思うと背中に汗が滴った。窓ガラスに額を押し付けて下を見たら白いものがスッと父の部屋に入った気がした。新太郎は幻を見たのかと思うしかなかった。夜はしんしんと更けていった。
七 梅雨の最中
六月も半ばになっていた。学校の面白くもない授業はいつも上の空だった。教員も新太郎の劣等生ぶりは覚知していて、質問をぶつけたり、国語の朗読を当てたり、門題を解かせようと指名することも一切無駄なことと割り切っていて当てられることはなかった。例えよそ見していても注意されなかった。新太郎がジッと椅子に腰かけているだけで教員は安堵していた。新太郎は雨の降る窓の外をぼんやりと眺めていた。
早めの梅雨入りで連日のように雨天だった。雨は人を憂鬱な気分にするものである。授業中の教員の声そっちのけで聞き流し、父の様子が気になって仕方がない。その後、沙知や海香が水差しを持って開かずの間に合鍵で入るのは何度か目撃した。二人とも庭のバラや花菖蒲を摘んで入ることもあった。それぞれ相手が活けた花を棄てては自分が持参した花を活けて意地悪合戦をしているだろうと想像した。
先日、新太郎は仲居頭に厨房の前で詰問した。
「小母さん達はボクのパパの部屋に入らないの?」とわざと聞いてみた。
「あの部屋に立ち入れるのは大女将さん達だけですよ。わたし達は鍵も預かっていません。余計なお世話をしたら叱られますからね」と首をすくめた。
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