第1章

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「お医者さんの往診って見たことある?」と新太郎は平日の昼間は学校にいるので様子を訊ねてみた。 「ごめんなさい。わたし達も自分の仕事で忙しいので気が付いてないのです」と又もや首をすくめた。 「誰かが『開かずの間』って言っていたよ」 「そうなんですか。それは初耳ですよ。どういう意味ですかね。気持ち悪い言葉ですね」 とベテランの彼女はすっとぼけた返事をした。箝口令でもあるのか話にならないので、新太郎はそれ以上問い詰めるのを避けた。警備の者なら何か教えてくれるかと守衛詰め所に行ってみた。アルバイト扱いの守衛さんは長続きせず、しょっちゅう顔ぶれが変わった。その日詰めていたのは、履物屋の自営が立ち行かず閉店して警備のバイトをしている一番古株の還暦前の小父さんだった。 「坊っちゃん、梅雨だから仕方ないけど、 よく降りますね」と愛想よく椅子を勧めてくれた。 「守衛さんは長続きしないね。小父さんだけは別たけれど、新人はすぐに辞めてしまうね」と新太郎が話題にした。 「そうなんですよ。新人が来ても、この防災システムが理解できずに困りますよ。この前三日坊主で辞めた証券会社OBなんか酷いものでした。夜勤の見習いで一緒した時に、誤報の火災シグナルが出ているのに、一斉ボタンを押そうとしていたから、危機一髪で止めました。火事でもないのに館内中にサイレンが鳴り響いたらお客さん、おったまげてパニックになりますよ。大騒動の寸止めでしたよ」とよく喋る人だった。 「小父さん、夜の見回りで何か変なもの見たことなかった?」と新太郎は本題に切り込んでみた。 「変なもの、変なものって何ですか?何か異常事態があったら警備防災日誌に残すけど、このところ毎日異常なしですよ。警備は異常なしで百点満点ですからね」と分厚い警備日誌をパラパラとめくった。 「例えば、火の玉とかお化けを見ても異常なしですか?」と新太郎は誘導してみた。 「坊っちゃん、そんな妖怪が出たとか怪異現象があったって日誌には残しませんよ。そんなのは自分の気の迷いに決まっているからですよ。『幽霊の正体見たり枯れ尾花』って、人間は暗闇なんかへの恐怖心から、現実にあらぬものまで見えたように錯覚するものですよ」と諭された。
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