第1章

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  イタコの紅い唇            桜田靖 一 油屋家の人々  首都といっても東京の奥は山深い。多摩地域の果ての都県境から埼玉や山梨に通じる道路は数少ない。うっかり山道に踏み込めば、ある時は絶壁で行く手を阻まれ、又ある時は断崖で一歩も進めず、その又ある時は険阻な巌だらけの渓流に往く先を阻まれる。更に又ある時は苔の繁茂した密林になって獣以外は進むことを拒まれる。  この物語の主人公油屋新太郎は、そんな多摩の奥地の寂れた町で育った。でくの棒とも口の悪い署員から嘲られもしたが、恵まれた体格の持ち主だったから、地元警察の少年柔道教室に通っていて、顔馴染みの頑丈な体格のお巡りさんが紺色の出動服に着替えて、背中にぐったりした身体の人を背負って山を降りて来るのに何度も出会ったことがあった。 「お巡りさん、何があったの?」と無邪気に声をかけたこともあった。 「山奥の首つりの仏さんだよ。もっと先の方で首を吊ってくれたら山梨県警の仕事だったなのになあ。ワッハッハッ…」と顔から汗を滴らせながら豪快に笑った。新太郎は、江戸時代は木賃宿の旅籠、近世になってからは商人宿、今は和風旅館と呼ばれる町の宿屋の跡取り息子として生まれていた。祖父が初孫で甘やかしたので、ガキ大将で近隣の子達を手下に遊んでばかりで勉強だけはからっきし駄目なでき損ないだった。他所の家の庭に柿の実がなっていたら勝手にもいでムシャムシャとその場で食べた。そこの家人に見つかったら食べかけの果実を壁に投げつけて逃げた。逃げ足は速いので捕まることはなかった。  警察の少年柔道教室でも大きなガタイのわりには強くならず、見かけだおれで対外試合に出されてもコテンと転ばされて負けてばかり、中学生の時に柔道部に入ってみたものの『柔道は痛くて雑巾臭い』と勝手に退部し警察の柔道教室にも通わなくなった。高校は青梅市の不良でも合格できる私立の三流男子校に何とか合格してバスから電車へと乗り継いで通った。
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