第1章

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 新太郎は初孫でベタベタの砂糖まみれに甘やかされて育ったので、幼い時からのタメ口のままだった。新太郎以外の家族には厳格で頑固で粘着質の祖父新一郎もこの初孫は特別扱いだった。 「母さんから聞いているよ。大学に行きたいのだろう」とムッツリしたので、新太郎はこれはヤバいと警戒した。 「祖父ちゃん、その通りなんだよ。友達がみんな進学するのだよ。だからボクも良いでしょう」と新太郎は哀願するような眼の色になった。小さい時から祖父におねだりする時の癖だった。そうすると大抵の願いは叶った。 「新太郎、学校の成績が全然駄目だそうじゃないか。東京の何処の大学の入試を受けても落第するって先生が言ったって聞いたぞ」とムッツリ顔は改まらなかった。 「大学の受験まで、まだ一年もあるよ。駅前の学習塾で勉強するから頼むよ」と新太郎は真剣に受験勉強を訴えた。 「塾でもテストがあって、素行や成績の悪い子は受け入れないって母さんから聞いたぞ」 「だったら大学生で良いから家庭教師の先生を呼んでよ。マンツーマンなら知識が頭に入るよ」 「新太郎、爺ちゃんには夢があるんだ。油屋旅館を客がいっぱい泊まる観光ホテルに建て替えたいのだ。こんな辺鄙だった町にも道路も鉄道も交通がすっかり整備され、便利になったから家族連れや外人の観光する姿が増えただろう。大きな団体客なんか油屋に収容能力がなくて仕方なく断るなんて勿体ないことをしているのだぞ。でも爺ちゃんは古希といって七十を過ぎてしまったよ。もう、いつお迎えが来てもおかしくない年なんだよ。銀行も金を貸してくれないんだよ」とムッツリ顔から変わって、今度は悲哀の表情が額や頬のしわの数に読み取れた。 「それはパパとママのすることでしょう。それに、もう七十でなくて、まだ七十と言うのが今の世の中だと思います」と新太郎は急に言葉を丁寧に改めた。 「いや違うよ。毎年健康診断を受ける度に体に悪い箇所が見つかり、爺ちゃんの病院通いが日課なのを知っているだろう。それに父ちゃんが新太郎も知っての通り、毎日ゴロゴロのグータラ親父だから、頼りは新ちゃんだけなんだよ」といつか涙目になっていた。 「又後で話そう。もう少し肺活量を鍛えるからな」と祖父はクルリと向きを変えると今度は雑木の森の中に向けて浪花節を唸るように声を張り上げた。
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