誘惑

3/8
前へ
/17ページ
次へ
「ファウストって知ってるかい?」 暗闇の中で彼女の姿だけがはっきり見える。 赤ずきんもどきの口がブーメランみたいに上に引き上がり、大きくなっていく。 目を逸らすことも出来ず、ばか正直に返事をする。 「ゲーテが書いた小説」 悪魔にそそのかされたバカ男。 挙げ句愛する人も失う哀れな話。 恋人は死ぬ間際まで彼を愛していた。 多分死んだ後も。 「偉いねえ。ちゃんと読んでるんだ。ただ今夜のポイントはね」 目の前で指を振る。 やっぱり頭の中読まれている。 「そこじゃなくてさ。 人と悪魔が契約するってところだよ」 ぬうっと顔が私の鼻先まで来る。 余りの現実離れしたこのシチュに、笑えてくる。 何なんだ? てことは目の前にいるのは悪魔? 私の夢?妄想? 酔っ払った? 「ふくっ。くくく。」 赤ずきんが呆れ顔で 「悪魔を前にして笑えるた、心臓だねえ。まあ、いいけど。 あらまあ、貴女なんて甘い香りなの」 そのまま私の首筋に鼻息がかかったかと思った瞬間 ぺろり 唐突に私の体から力が抜ける。 ぐらり 無意識に、ずり下がった眼鏡を力の入らない左手が押さえた。 「うーん、旨い。なんて濃厚な精気」 舐められた首がむず痒い。 そうか。 これは現実か。 瞬時に理解する。 今私は悪魔に精気を抜かれ、尚且つ契約を迫られている。 さっきの話の流れからだと、私の望みや欲を叶えてやる代わりに魂を寄越せってやつだな。 天国にも地獄へも行けず、ましてや転生なんてある筈もなく、綺麗に消滅する訳だ。 「本当説明要らずで助かるわあ。 賢いのね」 「……嫌だと言ったら?」 「まあ、見てごらんなさいよ」 ひひひ 嫌な笑い方だ。 くそ赤ずきんばばあ。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加