触れ合う手と手

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「優一郎、暇だろ。別にみてなくていい」 「僕は、彰を見ているんじゃなくて、モルゲンロートを見てるんだよ」  美しいその黒毛の馬は、とてものんびりとした様子で、歩いている。 「もう少し、手綱を張って――。上に伸びるように――背筋を伸ばして」  レンの指導は的確で、少しの間で彰の姿勢は随分変わったと優一朗は手元の珈琲カップを弄びながらフッと吐息を漏らした。  幸せだ――。  優一朗の視界には彰がいて、一生懸命馬と向き合っている。流れる汗がキラキラと朝日を反射している。  優一朗は、最近日課になった朝日を浴び、入れてもらった珈琲を飲みながら彰を待つ。授業の前に乗るから、彰の朝は早かった。 「小松崎君、彰君の騎乗をビデオに撮ってあげてくれませんか」 「ええ、わかりました」  レンは、馬場の外の優一朗に頼むのはこれが初めてではない。意識するかしないかで変わる騎乗姿は、録画してもらって確かめるのが一番いいからだ。楽しむためだけに乗ってきた彰に変な癖は多い。前に脚を突っ張るのも、腰を浮かせて乗るのも。  真剣に前を向く彰を思う存分凝視できるし、スマホのビデオを使うので手元に残る彰の映像も優一朗にとって宝物だから、願ったり叶ったりだった。  彰に馬場に来るなといわれてから、二人のすれ違いに終止符が打たれた後も健気に守っていた約束は、彰からの誘いで終わりを告げた。 『モルゲンロートに乗せてもらっていいか?』  そう言われた時の優一朗の喜びようは、冬弥が無言でひくほどだった。 『レンさんに、あの馬(こ)はとても優秀な先生だから、乗せてもらえるなら機会を逃すのはもったいないっていわれたんだ』  丸山蓮は、優一朗の姉(あやめ)がわざわざ手配してくれた調教師だった。本人もかなり有名な人間で、若い時は試合を総なめにした選手だったという。今は、馬を育てるほうが好きだということで、優一朗が在籍する間だけここの管理を任されている。優一朗と彰のこともそれとなく知っているようで、優一郎に融通をきかせてくれているのだが、その中でも最高の仕事だと優一朗は評価している。 『一度見に来ないか?』  優一朗が一度ですむはずもなく、それから彰が馬場を訪れる日は必ず付き添う健気な会長の姿が時折、早起きな連中に目撃されている。
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