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目の前に老人がいる。白人男性だ。歳の割にはすこぶる体格がいい。僕よりも背は高いし、胸板だって厚い。彼はじっとこちらを見つめている。眼光は鋭く、威圧感は半端ない。
机の上に広げた調書を前に、思わずため息が漏れた。どうすればいいのだ。
ここは近畿のおまけといわれる田舎町の派出所だ。迷子ですと連れて来られたのがこの老人だった。英語を話せるのは僕一人だったので、必然的に対応することになった。ところが話を聞いてみれば、彼は記憶喪失だった。
同僚が県警本部に問い合わせている間、とりあえず話を聞いてみるのだが、先ほどから彼の身元に繋がりそうな情報は引き出せていない。
国籍や住所、滞在地や来日目的などは思い出せないようなので、角度を変えた質問をしてみる。小さなことでも思い出せば、そこから他の記憶も導き出されるかもしれない。
「じゃあ、お仕事は何をされていたか、覚えていますか?」
しばらく思案していた彼は、不意に表情を明るくした。
「刑事。そうだ。若い頃、私は刑事で、悪い奴を捕まえたことがある」
「え?僕と同業者じゃないですか。それならどこの署にいたとか、思い出せませんか?」
期待を胸に質問をしたけど、彼は難しい顔で首を振った。
「いや、思い出せない……。というのも、刑事はすぐに辞めてしまったようだ」
「ようだ……って、どういうことですか?」
「消防士をやった記憶もあるんだ。ただ……」
そこで彼は顔を顰めて口ごもった。苦い記憶がよみがえったようだ。
「何か思い出したのですか?」
「それもすぐに辞めてしまったように思う。家族がテロに巻き込まれた影響で……」
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