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そして住み込みの使用人である加瀬田が、常とは異なる真澄の様子に幾分怖じ気づきながらも彼女の前に手際良く皿を並べると、真澄は「いただきます」と感情の籠もらない声で挨拶して食べ始める。
誰も口を開かず重苦しい沈黙の中、夕飯分をそのまま出した為、朝食としては持て余す量の料理を平らげていたが、沈黙に耐えられなかった浩一が、慎重に真澄に声をかけた。
「その……、姉さん?」
「何?」
「清人の事だけど」
浩一がそう言った瞬間、真澄の手が素早く伸びて浩一が切り分けていたポークチョップに勢い良くフォークが突き刺さった。しかしそれ以上の進行を皿に阻まれ、ガンッと鈍い衝突音を発し、それが食堂内に響き渡る。そして唖然として固まった浩一の目の前で、ポークチョップが一切れ真澄の口の中に消え、真澄は律儀にそれを噛み切って咀嚼してから、ドスの効いた声で凄んだ。
「……朝から、不愉快な話題を出さないで貰えるかしら?」
「分かった」
浩一が顔色を失って再度引き下がったが、その一部始終をテーブルの向こう側で見ていた玲子が、静かに口を開いた。
「そう言えば、真澄?」
「何でしょうか」
如何にも不機嫌そうに応じた真澄だったが、玲子はそれには構わず穏やかに話し出した。
「今、社内であなたにアメリカ支社北米事業部への転勤の話が持ち上がっているそうね」
「……それがどうかしましたか?」
夏からの懸案事項を口に出され、反射的に真澄が更に物騒な気配を醸し出すと、それを察した雄一郎と浩一は焦って玲子を止めようとした。
「玲子! お前一体どこからそんな話を!?」
「母さん! 何も今、そんな話を持ち出さなくても!」
しかし狼狽しながらの夫と息子の叫びを無視し、玲子は朗らかに微笑んで話を続けた。
「最近、とある筋から、何やら懐かしい名前を聞いたものだから……。アメリカ支社長って、あなたが営業部に居た頃、部長さんだった方でしょう? あの笑い話にもならない、不倫疑惑が持ち上がった時の相手の」
「…………だとしたら、何だって言うんですか?」
(ちょっと待て、玲子さん!)
(いきなり、何を言い出すんだお前はっ!?)
(母さん! これ以上事態を悪化させるのは止めてくれっ!!)
もはや歯軋りせんばかりの顔付きで真澄が玲子を睨み付け、それを見た男達は蒼白になったが、玲子はそんな娘を真っ正面から見据えたまま、とんでもない事を言い出した。
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