第1章

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 父は父で、恋人ができないのを一人娘だからか安心したような素振りを見せる。それ はそれで癇に障るのだけれど。  机の上に広げた大学の民俗学についてのレポートを手に取りながら、どうしてもあの 人のことを考えてしまう。  私が中学に上がる前だから今なら三十代くらいのいい大人だろうか。あの後、彼は叱 られてしまっていないだろうか。もう八年も昔のことなのに今でも気にしてしまうのは おかしいだろうか。机の上に置かれた鏡がふいに視界に入る。  幼少の頃についた傷は不思議な文字のようにも思える痣になっている。  鏡越しに胸元の痣に触れると何故だかとても安心する。  心が安らぐような気分に浸れて嫌なことがあった日やストレスが溜まった日でも痣に 触れるだけで、憑きものが落ちたように安心した気持ちになれる。  この痣のおかげで私はどんなに緊張する場面でも落ち着いて話すことができるように なっていた。  だからか、よく周囲には「年齢の割に落ち着いているね」と言われて、次第に私の落 ち着きは人を集めていき、いつの間にか人の悩み事や愚痴を聞く状態になっていた。  しかも、私に相談すれば大体が良い方向に行くのだと、変な噂まで立ってしまってい る。 それはそれで、私としては良いのだけれど――。  私の中ではいつの間にか人の悩みを聞くの使命になっていた。  そして、それが今ではカウンセラーを目指して日々を過ごしている。  よく人から相談を受ける私にも苦手なことがある。それは幸せになるあまりに盲目に なってしまった人。 「恋愛は人を盲目にさせてしまうってよく言ったものね」  人のことを言えないけれど、携帯を取り出すと友人の惚気発言がSNSで流れてくる。 ただ、私はこの二人の恋愛は否定的だ。妬んでいるとか羨ましいわけじゃなくて。今ま での経験上、他人に惚気まくる人ほど別れるのは早いからだ。  それは今まで見てきた友人たちの恋愛から思い知らされていた。とてもいい人であっ ても心のかたちが合わないのか退屈になってしまったり、逆に喧嘩が絶えなくなったり 。その度に傷ついた友人たちを見るのは悲しく辛い。  いつもは相談を、話を、と聞いてくれる友人たちも恋愛になると途端に話を聞かなく なってしまうのは仕方ないのかもしれない。
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