1635人が本棚に入れています
本棚に追加
/150ページ
美晴は二年前に短大を卒業してから地元の銀行で行員として働いている。俺はといえば、この春大学を卒業して、地元の老舗旅館に就職が決まっていたはずが、旅館はいきなり倒産。仕方なく別の全国展開する格安ホテルにバイトとして入ったものの、いろいろとあって一ヶ月も経たず辞めてしまった。つまり正真正銘のぷーというわけだ。
大黒柱の命令にそもそも太刀打ちできるはずもない。
そんなわけで、俺は今、女の格好で「葛西ツルさんのホームヘルパー」として、ここ葛西商店に来ている。
女装といってもヘルパーの仕事だし下は普通にジーンズだ。トップスは小花模様のふんわりとしたチュニックとやらを着せられていて、胸元をみるたびゆらゆら揺れる裾にげんなりする。
「名前はなんていうの?」
「あ、ち……美晴です」
ここは美晴の名前を借りておくことにする。響きだけなら「ちあき」も女で通るだろうが、万が一ということもある。俺はここにいる間は「夏子の娘、美晴」であって、決して「息子の千章」ではないのだ。
「じゃあ、美晴ちゃん、申し訳ないんだけどお願いね。おばあちゃんは奥の和室でテレビ見てるわ」
「はい」
そう返事をし、俺はどきどきしながらも、奥の間へと続く土間を抜けていった。
「ツルさん、おはようございます」
テレビを見ながら座るツルさんの横に、膝をついて話しかける。小柄なツルさんがくるっと顔を向けてにんまりした。
「夏子さんの娘さんかえ? よぉきてくれたなぁ」
「美晴です。母のようにはいかないと思いますけど、その、よろしくお願いします」
男っぽくならないようにしゃべるのは意外に難しく、自分で言っていてオカマにでもなった気分で気持ちが悪い。
ツルさんは特に何も気にならないのか「はい、よろしく」と言ってまた視線をテレビに戻した。
勤務時間は朝九時から昼の二時まで。仕事はツルさんの住居部分の掃除と、昼食の世話だ。あとはツルさんの話し相手……話し相手って何を話せばいいんだろう。
最初のコメントを投稿しよう!