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恭子がその手を握り返してから、石黒は春日と連れ立って応接室へと姿を消し、恭子は再び椅子に座って中断していた仕事を再開した。そして周囲からの物言いたげな視線を物ともせずにデータ分析を終わらせ、打ち出した書類を持って課長席に提出しに行くと、それを受け取った杉野が一通り目を通してから徐に口を開く。
「川島君……」
「はい、何でしょうか?」
「以前、クラブ勤めしていたのを、どうして黙っていた?」
「前の勤め先の、東野先生の事についてはお話ししましたが、それ以上遡って事細かくお話しする必要が有るんでしょうか? 別に尋ねられた事はありませんでしたし」
不思議そうに正論で言い返した恭子に、杉野は口答えされたのを不満に思っている風情で問いを重ねた。
「これまで仲介して貰った企業担当者とは、取材の過程で知り合ったわけでは無いんだな?」
「確か……、課長に言われて一番最初にお名前を上げた方は、先生の下で働き出してから知り合った方ですが、他はシザール時代のお客様と半々でしょうか。それが何か?」
嫌味っぽく言ってみても真顔で答えた恭子に、杉野は面白く無さそうに受け取った書類を置き、代わりに別なファイルを取り上げた。
「……いや、何でもない。この書類はこれで良い。こちらの文書を経理課に持って行ってくれ」
「分かりました。失礼します」
そしてファイルを受け取って一礼した恭子が部屋を出て行くと同時に、室内のそこかしこで低い囁き声が漏れた。
「……前々から、おかしいと思ってたんだよな。たかが一作家のアシスタントが、そんなに顔が広い筈ないって」
「水商売してた頃のお得意様かよ。それなら鼻の下伸ばした、おやじ連中は言いなりだよな」
「未だに枕営業とかしてるんじゃないだろうな? 変な噂になったら、社名に傷が付くぞ?」
「顔は酷似してるけど、弓香とは似ても似付かない手練れらしいな。下心がある男なんか一捻りだろ」
以前付き合っていた「弓香」が、変装していた恭子だと未だに気付かないばかりか、恭子の入社以来ちやほやしていたくせに急に掌を返した様な態度を取った高橋に、さすがに聡は腹を立てた。
「おい、高橋。言い過ぎだろう。少しは言葉を慎め」
それに高橋はムッとした様に言い返し、周りもそれに同調する。
「何だよ角谷。お前、彼女を庇う気か?」
「彼女持ちのくせに、お前も誑し込まれたらしいな」
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