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「楽しんできてね」
姉には、偽りの場所を教えてある。
もしかすると、僕の携帯や部屋の中から、今日の出かける場所を調べているかもしれないが……その時に備えて、いくつかプランは用意してある。
がちゃり、とノブを回し、玄関を開ける。次いで、外の音が耳へと流れ込んできて――。
「す……?」
――全身に、奇妙な感覚が走り抜けていくのが、わかった。
そうして、一瞬。いや、頭のなかでは、何時間もの時間を過ごしているのを記憶しているのに。
「……ただ、いま?」
出て、すぐに入ったかのような、生々しい感覚。
それが、僕の頭と身体に、一瞬でこびりついていた。
(出かけた……僕は、恋人と、デートに行った)
現実感のない記憶とともに、帰宅している自分。
今日の出来事が、すっと、頭のなかに残っている。
姉に隠して、恋仲になった相手と出かけ、映画に行き、食事をした。唇の感触も、身体と記憶には残っている。 でも、 違う。
なにか、一瞬で、それらの感覚をインストールされたような……現実感のないなにかが、僕の気分を満たしている。
「おかえりなさい」
姉の声も、穏やかで、いつもと同じ。
――あの日と、同じ。
「わたし、これから出かけてくるわ。食材、足りないものがあるから」
そうして、僕の横をすり抜けていく、姉の姿。
(これから、姉は……どこに、行く?)
止めるべきだ。
だって、その結果は、知っているのだから。
(彼女はもう、呼び出されて……姉は、そこに行くのか?)
知らないはずの知識が、頭の中に浮き上がってくる。これから体験する、したはずの、自分でないような感覚とともに。
「行ってくるわね。ご飯……一緒に、食べましょう?」
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