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それはそんな卒業式から十五年後、江藤俊也が、読売ジャイアンツ一筋で育成の星としてスターダムに上り詰めた選手生命に幕を引く決断をした二週間後の読売テレビの特番、であった。
彼がプロとしてマウンドに立つときはもちろん、怪我をして戦線離脱を余儀なくされたときも、遅刻をしてピッチングコーチにめっぽう怒られているときも、彼女を作り結婚し、子をなしたときもいつも彼の側には最上達也がいた。
達也がチーム専属のトレーナ―として選手全員のコンディションを頭に入れておきながらも、一番に気に掛けるのは俊也のことだった。
専門学校で理学療法士の資格をとった達也を追いかけるように俊也は大学でつらい練習に耐え、社会人チームから読売ジャイアンツに育成で雇われた。
五年の月日を経てやっと一軍に入り、一年の離脱期間を除く七年をジャイアンツに捧げた彼は、ジャイアンツのクライマックスシリーズ進出が決まったその日に引退を表明した。
ヒーローインタビューの歓声が悲鳴に変わる。脂の乗った、長い下積みを経てやっと満開の花を咲かせた彼こそが、その年の躍進の一番の功労者だった。
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