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見なければよかった、と心から思った。見さえしなければ、これほど手が震えることもない、狙い過つ恐れを感じなくてもよかったはずだ。
だが、現に見てしまった彼がこの悪夢から逃れる方法はただ一つ、狙いをつけて引き金を引くことだった。
夢なら反動の衝撃で目が覚める。夢でなければ標的がこちらに気づき、少なくとも何も考えずによくなる。
一番苦しいのは怯え、苦闘している今この時だ。
若い狙撃手はもう一度銃を構えた。運がよければ、六十発が当たらなかった怪物の急所に、この一発が当たる。
ぬるり、と引き金にかかった指に何かが落ちた。生温かい。嫌な感触だ。手の中で銃が滑って、足元に落ちる。
甘ったるい、いやらしい声が、耳元をぼんやりと撫ぜた。
「恨まないでくださいよ。不用心なあなたがいけないのですから」
喉から突き出した刃が引き抜かれ、狙撃手は横様に倒れた。その体を押しのけて立ち上がったのは、姿を消していたもう一人の男だ。
滑らかな髪に降りかかった血を拭い、男は地面に転がった狙撃銃を拾い上げた。その腕はほっそりとしてしなやかで、肉の薄い鷲鼻と切れ長の目が目立つ中性的な顔は、蛇のような狡猾さを秘めていた。
「さて、どうしたものか……」
男は独り言を言って死体を跨ぎ、潅木の陰から上半身を乗り出す。元より逃げおおせるとは思っていない。
兵士たちの数は半分以下になっていた。標的の男は全身血みどろ、ローブも襤褸切れ同様になっているものの、苦痛に歯を食い縛りながらナイフとなけなしの身のこなしだけで銃に応戦している。時折耐え切れず地に伏し、無我夢中の兵士たちのゼロ距離射撃を浴びて体中に穴を開けながら、なおもその足を掴んで引きずり倒し、殴りつける。
文字通りの不死身の怪物がそこにあった。
隠れていた方の男は心底嫌気が差した顔でその無惨絵を眺めていたが、戦っている方の男がひたとこちらを見据えたのに気づき、反射的に体をこわばらせた。
「逃げる気かよ、え、アルデバラン!」血のあぶくを吹きながら、穴だらけの方が叫ぶ。
この挑発に、アルデバランと呼ばれた男は諦めたようにくるっと目を回し、銃を小脇に抱えて素早く身を伏せ、兵士たちの背後を駆け抜けた。そのまま戦っていた男の背後につき、慣れた様子で兵士を撃ち始めた。
青いローブの男はからからと笑い、振り返りもせず目の前の兵士の首を一閃する。
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