第1章 死送る者のレゾンデートル ─ ケース1 ─

6/10
前へ
/184ページ
次へ
「イサナ君はいいよね……若いから髪フサフサで」  陸に上がった河童のような風貌の辰鳥課長が、ミニ盆栽の剪定にハサミを入れながら嘆息した。 「嫌だ課長、イサナ君をハゲましてるだけですよ」  雉子さんが無邪気に言うと、 「あっ、あっ、ああっ~」  と辰鳥課長が手元を狂わせてミニ盆栽を切り誤った。  何とも風采の上がらぬ中年だが、ここに配属される前は市役所の会計課にいたそうだ。  「カミソリ辰鳥」と敏腕で有名だったらしいが、どうやら浮気がバレて左遷されたとの噂らしい。  立つ鳥跡を濁さず、ではなく濁しまくりである。  その飄々とした風貌から「ぬらりひょん」と陰で──主に美蝶子さんと雉子さんが──あだ名される御仁だ。  それでも昔取った杵柄で、今でも市行政の各所にコネを持つ頼れる課長なのである。 「昔は腕が立ったのに、今は頭の毛が立たないんだよね」  ミニ盆栽を持って涙ぐむ辰鳥課長に、美蝶子さんが邪悪な笑みで追撃した。やれやれである。  そのとき机の向こうで服部 羊子(はっとり ようこ)次長が、掌をパタパタと閉じたり開いたりしているのが視界に入った。  握力を鍛えているのではなく、どうやらコッチに来いという意味らしい。 「服部次長、おはようございます」  すぐに立って挨拶に行くと、 「ごきげんよう、猫屋田君」  服部次長がビブラートの声で返事した。  ハイネの詩集を置いて向き直ると、備品の椅子がギシリと悲鳴をあげるように軋む。 その肥満した体躯ゆえである。
/184ページ

最初のコメントを投稿しよう!

40人が本棚に入れています
本棚に追加