第2章 死骸とネコと、半心の悪魔 ─ ケース4 ─

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「み、美蝶子さん。どうして……?」  問うよりも早く、美蝶子さんが形の良いアゴをしゃくった。 「向こうだ」  その方向を見やるが、仄暗い廊下が続くばかりである。  僕は意味がわからず再び口を開こうとすると、 「イサナ、気づかないか」  ナギサが緊張した面持ちで囁いた。 「……何がだい?」  いくら眼を凝らせど、奥には闇黒が広がるばかりで何も見えない。 「何も見えないけど……」 「眼じゃなくて鼻だよ」と、美蝶子さんが言う。 「匂いだ」と、ナギサが告げる。  僕は鼻をひくつかせて匂いを探った。  空気が黒く澱んでいる。  その澱んだ空気のなかに、幽かな異臭が漂っていた。  ぐっしょりと濡れた毛皮を思わせる匂い、それに熟れて甘い杏の匂いが、ひどく鼻をくすぐる。  その異臭が蜿蜒(うねく)るように、黒い障気となって鼻に届いてくるのだ。 「この匂いは何だろう……?」 「これは……乾いた腐臭だよ」  美蝶子さんが眉根を寄せながらつぶやく。 「イサナ、死臭だ」  ナギサが短く告げた。 「えっ……死臭って……?」  それは誰のだと言うのか。  こんな乾いた腐臭がするのは、相応の月日を経た死体だということだ。  アケミちゃん以外の第三者がいるということか。その死体が奥にあるということなのか。  ひどく頭が混乱すると同時に、底知れぬ闇に巻かれているようで心の底から怖気た。 「みゃう」と、ワルキューレが鳴いた。  アンジェラスの弔鐘が、ひときわ高く死を告げる。  僕たちはいつの間にか境界を越えていた。  ここはもう死者の領域であった。
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