第3章 世界の涯てに泣く者と ─ ケース1 ─

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「ケンチ、ここで待っててね」  美紀さんが男の子に言うと、 「それじゃ猫屋田、お留守番しててね~」  美蝶子さんが泣き真似をしながら相談室に入った。 「ごめんなさい」女史が謝る。「厚生労働省の監査官が来るまで業務はしないように連絡があったの」と詫びて事務所に戻る。  廊下に残された僕たちに、しばし沈黙が流れた。 「僕の名前は猫屋田イサナって言うんだ。君の名前はケンチ君なの?」  こちらから男の子に口を開くと、 「ぼくはケンイチ、黒葛原ケンイチです。小学校5年生です」  やや小さい声だが自己紹介してくれた。  ケンイチ君は5年生にしては大人びて、寡黙だが芯のある子に見える。  もっとも、どこか自分を押し殺しているようにも映った。  それでもどこか雰囲気が自分に似ているケンイチ君に、ひどく親近感を覚えて微笑ましくなる。 「ここだと何だから、待合室に行こうか? そこなら漫画や本があるし」 「いいえ。ここで……妹を待ちます」  ふむ、お母さんじゃないんだね。何だかお母さんに含みがあるように聞こえた。  その表情の機微を感じとったのか、ケンイチ君が躊躇いがちに口を開く。 「お母さんは……ぼくのことケンイチじゃなくてケンチと呼ぶんです。 妹はちゃんとマナミと言うくせに、ぼくだけケンチと訛って呼ぶから恥ずかしくて……」  ケンイチ君が気恥ずかしそうに言うので、 「僕だってもう大人なのに、母がイサナちゃんと呼ぶから恥ずかしいったらないよ」  と少しおどけて言った。 「あっ、ちゃん付けで呼ばれるのは恥ずかしいですね」 「まったくだよ。それでも母親だから言えなくてね」
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