第1章 死送る者のレゾンデートル ─ ケース1 ─

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「昔の方が虐待がなかったというのは間違いだよ。戦前から戦後の時代の方が、今よりも少年犯罪や児童虐待が遙かに多かったのは数字が証明しておる」 「それで昭和8年に『児童虐待防止法』が制定され、昭和23年の児童福祉法により児童相談所が児童問題の中心的専門機関として位置づけられたのよ」  服部女史が得々と説明した。 「あたしが臨床心理士の勉強でカナダに留学したときに、戦後に児童相談所の改革に尽力したアリス・K・キャロル女史を知って、子どもを守る児童心理司になると決意したんです」  美蝶子さんが大きくうなずきながら熱く語った。 「児童虐待による死亡率は年々減少しているが、それに反比例して虐待の検挙率は右肩上がりで上昇している。 それゆえに君たち児童相談所の職員に負担がかかるが、子どもや保護者に相対するときは“耳で聴き、目で聴き、心で聴く”ということを忘れないでもらいたい」  笠所長が告げると、皆が「はい!」と返事する。  僕は所長の言葉を聞いて胸が熱くなった。 “耳で聴き、目で聴き、心で聴く”とは、子どものみならず人と接するのに必要なことだ。  このように児童相談所は異なった人材が集う施設で、みんなが一致団結して協力しないと成り立たない職場なのだ。  色々な経験を積んだ先輩たちと、このような言い合いができるのも児童相談所という特殊な職場ならではである。  そうしないと忙しさと精神的重圧で自分自身を見失い、いとも容易く孤立してしまうからだ。 「猫屋田、もう始業時間だ」  美蝶子さんに言われて、僕は席に戻った。  今日もまた児童相談所の一日が始まる。
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