第3章 世界の涯てに泣く者と ─ ケース3 ─

8/15
前へ
/184ページ
次へ
 その紙面に書いてある“アベックできてね”という文字が、おかしいくらいに色が踊っている。  それが自分の指が震えているせいだと気づいて、またゴクリと唾を飲んだ。 「よし住所はわかった。今から行くよ!」  アオネさんが立ち上がる。  僕とナギサは、八分儀さんを残して店を出た。  外の道脇に停めてあった青いカエルのような車──アオネさんのイセッタ600に乗り込むと、急発進して街を駆け抜ける。  やがて車は、港に近い高級住宅地に着いた。  ひときわ高い場所にある邸宅の前に立つと、大きな表札の横にあるモニター付インターホンを押す。 「すみません、児童相談所の猫屋田と申します。ユキナさんはいらっしゃいますか」  躊躇いがちな言葉で、けれども急いた声で呼び掛ける。  痛いような静寂の後に、 「ちょっと待ってください」  弾むような声がした。ユキナちゃんの声だ。  ホッと胸をなで下ろして振り向くと、ナギサとアオネさんも安堵の表情を浮かべている。  幾ばくもなく扉が開き、門扉から小さな少女が顔を覗かせた。 「ごめんね、ユキナちゃん。僕我慢できなくて、ナギサと一緒に来ちゃったよ」  頭を掻きながら笑顔で言うと、 「どなたですか?」  ユキナちゃんが乾いた声で訊いた。 「えっ……猫屋田イサナとナギサだよ」 「イサナさんと、ナギサさん、ですか……?」  まるで記憶にないかのように声をもらす。  その小さく幼い顔には、猜疑と怯えが色濃くにじんでいた。 「ふざけるなユキナ。私だ、ナギサを忘れたか?」
/184ページ

最初のコメントを投稿しよう!

40人が本棚に入れています
本棚に追加