第3章 世界の涯てに泣く者と ─ ケース4 ─

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 その声に呼応するように霧烟る異空間に光が差し、一面の花咲く野原が映った。  それは冥府エリュシオンに咲くアスポデロスの花であろうか。  眩しい情景と共に、甘く蕩けるような芳香が、幻嗅となって鼻をくすぐる。 「マナミ──ッ!!」  ケンイチ君の叫び声で、ハッと現実に戻った。  祭壇に横たわるマナミちゃんが「う……ん……」と、初めて呼吸をした赤児のように声をもらす。 「この世界に戻ってきたんだね」  喜び勇んで声をあげた。 「お……かあ……さん……おかあさん……お母さん!」  マナミちゃんが言葉を紡いで母親を呼んだ。 「マナミ、ごめんね!」  美紀さんが我が子を抱きしめて泣いた。  それはマナミちゃんが初めて「お母さん」と言った瞬間である。  だが、まだ喜ぶのは早い。ナギサが冥府から戻っていないからだ。  教会の床にひざまづくナギサの肉体は、凍ったように仮死状態のままである。  その両掌の燭香も風前の灯火だ。 「ナギサ──ッ!!」  叫びはすれど異空間である冥府は、黒闇に閉ざされて彼女の姿を見失っていた。 「イサナ……どこだ……ここは暗くて寒い……」  ナギサのか細い声だけがする。  その声も消え入りそうに脆く聞こえた。 「ナギサ、戻ってこい! 約束しただろ、死番の助死師は必ず帰ってくると!」 「イサナ──!!」  冥府の闇が渦巻き消え入る寸前、彼女の呼ぶ声が教会に響いた。  ふっ──と冥府の異空間が閉じる。  ナギサの幽体はどこにも見えず、その肉体もひざまづいたままであった。 「ナギサ……戻ってこれなかったのか……?」  虚ろにつぶやきながら、祈るようにひざまづくナギサの前に崩れた。
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