第1章 死送る者のレゾンデートル ─ ケース2 ─

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「ちょっと猫屋田、大丈夫かい? お前顔色が悪いぞ」  胃液が沸騰するような嘔吐感から、美蝶子さんの声が救ってくれた。 「だ、大丈夫です平気です」 「しっかりしてよね。それでネグレクトに至った経緯は?」 「夫の暴力から逃れるために、極力人目を避けてアパート住まいをしているようですね」 「その夫の追求を恐れる不安から、ネグレクトに発展したようだね」  夫のDVから避難するため、保護者が意図的に自治体に所存を連絡していないケースは多い。そこから家族が孤立してしまうのだ。 「もう着きましたね」  車のカーナビが目的地の到着を報せた。  僕が担当する地域は星降市の中央区である。その地域は住宅地が多く、古くから住む世帯と新しい世帯が混在していた。  その住宅地を見渡すと、子どもが遊ぶ公園や広場が見当たらない。  道路にも子どもがチョークで落書きした絵もない。  ただ綺麗で取り澄ましただけの家が整然と並んでいる。  すぐに横川さんの家族が暮らすアパートが見えた。 「このアパートの2階205号室、そこが横川さんの部屋です」  階段を上がりドアの前に立つと、美蝶子さんがインターホンを鳴らす。男の僕だと警戒されると考慮してのことだ。 「相談所の猪鹿です。横川さーん、いらっしゃいますか!」  呼んでからしばらくすると、「は~い」と女性の気だるい声がした。 「失礼ですが、どなたですか?」  ドアが半分だけ開いて、化粧っ気のない女性が顔を覗かせる。 「児童相談所の猪鹿です。担当者が代わりましたので、その挨拶にお伺いしました。新しく入った猫屋田です」  美蝶子さんに紹介されて、「猫屋田と申します」と頭を下げる。 「ああ、児相(じそう)のヒトね。用事はそれだけ?」  お母さんが迷惑そうにつぶやいた。児相とは、児童相談所の略だ。 「なになにっ、お客さん?」  いきなり子どもの声がしたかと思うと、ドアの隙間から小さな頭が2つ湧いた。
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