第1章 死送る者のレゾンデートル ─ ケース2 ─

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「えっ、ええっ、どんな誤解ですか!? 僕は麦子さんのパンを食べに──」  僕はシドロモドロで弁解しようとすると、 「“ひとりの人を愛する心は、どんな人をも憎むことができません”byゲーテ」  服部女史が「むふ~ん」と吐息をもらしながらのたまった。 「それよりも美蝶子さん、助死師というのを聞いたことがありますか?」 「この小僧がはぐらかしやがったな。まあ良い。 人が生まれるときに助産師が取りあげるだろう? それと同じように、人が死ぬときにその傍らで死の恐怖を和らげて助けるメンタルケア、それが助死師だな」 「そんな職業があるんですか?」 「そんな資格はないだろうけど、看護士とか医師がそんな役割を果たすと聞いたぞ」 「では、生きる死骸って何だと思いますか?」 「それはコタール症候群という非常に珍しい精神障害だ。大脳生理学の本で読んでことがあるな」 「精神障害……ですか?」 「自分が生きている死者、ゾンビだと思い込む障害さ。 生きている感覚の喪失や自己存在の乖離は、扁桃体の損傷によって起こる場合があるらしいな」  美蝶子さんが得々と説明すると、服部女史が読んでいた本を置いて訊ねる。 「ちょいと猫屋田君。その生きる死骸と助死師って、あなたまさかナギサという子に会ったことがあるのかしら?」 「昨日の虐待現場で偶然に会いました。さっきも近くの公園で話をしましたよ」 「ナギサがこの街に来たのね……」 「服部次長はナギサを知っているのですか?」 「3年前に会ったことがあるわ。死番の助死師……そう名乗るナギサという少女にね」  女史が重い声で答えると、にわかにその表情を曇らせた。  死番の助死師とは、一体何だろうか?  僕はナギサの冷たい美貌を思い浮かべながら、じわりと胸を侵す焦燥感を感じていた。
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